hiyamizu's blog

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島田裕己「日本の10大新宗教」を読む

2008年10月04日 | 読書2

島田裕己著「日本の10大新宗教」幻冬舎新書、2007年11月発行 を読んだ。

裏表紙にはこうある。
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多くの日本人は新宗教をずっと脅威と好奇の眼差しで見てきた。しかし、そもそも新宗教とはいかなる存在なのか。「宗教」の概念が初めてできた明治以後それがいつどう成立したか案外、知られていない。超巨大組織・創価学会に次ぐ教団はどこか、新宗教は高校野球をどう利用してきたか、などの疑問に答えつつ、代表的教団の教祖誕生から死と組織分裂、社会問題化した事件と弾圧までの物語をひもときながら、日本人の精神と宗教観を浮かび上がらせた画期的な書。
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題名にある「新宗教」とは、差別的で否定的イメージがある「新興宗教」に代わる言葉として1970年代から学者の間では一般的に使われている。
また、著者によれば、日本人は自分たちを無宗教と考えるが、これは生まれたときから仏教と神道という既存宗教の信者になってしまうからで、無宗教ではないとの話だ。



1. 天理教、2. 大本、3. 生長の家、4. 天照皇大神宮教・璽宇、5. 立正佼成会・霊友会、6.創価学会、7. 世界救世教・神慈秀明会・真光系教団、8. PL教団、9. 真如苑、10. GLA
について述べている。


上記1,2,3,4など江戸後期または明治時代に始まった新宗教は、突然神がかりするようになった女性を教祖として始まり、神道の影響や、すでにあった新宗教の流れを受けながら病気を治すなど現世のご利益を売りものに徐々に大きくなって団体が多い。そして多くの場合、革新的な二代目教祖あるいは実質指導者が現れて大きく発展する。
そして、戦争中の国家統制の中で弾圧を受けるが、戦後新体制でさらに発展する。しかし、社会の変化の中で活力を失って、社会へ定着していく。
これが古い新宗教の典型的な流れだ。

高度経済成長の時代に巨大教団に発展したのは、仏教系(日蓮、法華)の(上記5,6,7,8,9、10)だ。

立正佼成会は当初神のお告げ、姓名判断で発展したが、こうした救済方法は教団の近代化を進める上で妨げになるとして次第に霊的な救済手段を表にださないようになっていく。

霊友会は先祖供養を信仰の核として発展したが、1971年就任した東大インド哲学科博士課程終了の二代会長が「インナートリップ路線」を掲げ若者を取り込んでいった。しかし、内部対立から2004年には分派独立し、若年層の人間関係希薄化のなかで集う行為さえ成り立たなくなって転換点にさしかかっている。

創価学会は、自分たち以外の信仰はすべて正しくないと考え、近年多少おとなしくなってはいるが、強引な折伏(しゃくぶく)による布教活動や、外部団体への強力な対応で恐れられている。また、霊的な信仰、先祖供養の重要性を当初から否定する点で従来の新宗教とは異なっていた。
高度経済成長の停止とともに創価学会の伸びも止まった。しかし、大規模な人的ネットワークが地域その他に広がっており、会員の子どもや孫に信仰を継承させるなどして組織を保持している。

真如苑では、普通の格好をした霊能者が信者に3分程度アドバイスを行う。それは神がかりというよりカウンセリングに近く、スピリチュアルな病院といった様子だ。穏健で癒しを与え、集団行動を要求しない点で創価学会と対極にある。この点により、現在でも勢力を拡大している数少ない団体だ。



著者は、1953年生まれ。宗教学者、文筆家。日本女子大教授だったときに、オウム真理教の施設が神聖な宗教施設とする発表をした。また、学生をオウムの信者に勧誘したなどと誹謗中傷され、大学を追われた。その後、名誉棄損裁判に勝訴し、現在は東大先端科学技術研究センター特任研究員。

同じようにオウムを賞賛しながらバッシングも受けずいまだ人気を保っている中沢新一氏について、島田氏は「中沢新一批判、あるいは宗教的テロリズムについて」という本を書いて厳しく批判したようだ。私はこの本は未読だし読むつもりもないが、評判では明解な根拠がない決め付けが多いようだ。



以下、下世話な話題をいくつか。( )は私のコメント。

天照皇大神宮教(てんしょうこうたいじんぐうきょう)は1948年数寄屋橋公園で20名ほどが無念無想で踊りくるい、「踊る宗教」と話題を集めた。
岸信介が戦争責任を問われ巣鴨拘置所に拘留される前に山口県田布施の実家に戻った。同地の出身の教祖の北村サヨがやってきて、「3年ほど行ってこい。魂を磨いたら、総理大臣として使ってやるわい」と言った。岸が総理大臣になると、サヨが上京して岸のもとを訪れ「どうだ、岸、オレが言うた通りになったちゃろうがア」と言い放った。岸は、「お蔭をもちまして」と答えていたという。

現役引退後の双葉山は璽宇(じう)に入れ込み、1947年検挙に入った警察に対し大立ち回りを演じ幹部とともに検挙された。(横綱の品格などもともとそんな程度だと思う)

1980年代なかば、真如苑には沢口靖子、高橋恵子、鈴木爛々、松本伊代、大場久美子が入信していると伝えられた。






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