吉田研作著『外国人とわかりあう英語 異文化の壁をこえて』(ちくま新書038、1995年7月筑摩書房発行)を読んだ。
裏表紙にはこうある。
英語がいくら流暢に話せても、外国人との間で勘違いや誤解、行き違いはなくならない! 別の社会で暮らし、異なる文化をもつ人どうしが本当に理解しあうためには、学校で教わる外国語の文法や知識だけでは歯が立たない。異文化コミュニケーションとはどのようなものか、どうすればその調整能力をみにつけることができるのかを、応用言語学のエキスパートが体系的に紹介する。
英語が喋れても、文化、習慣の違いが判らなければ、頓珍漢(古っ!)なことになってしまうという例がいつくか挙げられる。
話し手と聞き手のスキーマ(普遍的価値観&文化的価値観&個人的要因)の違いが、異文化間コミュニケーションを妨げるというスキーマ理論なるものが、解説される。
レストランで食事をする時の手順、ホテル予約手順などステレオタイプ化されたその国の社会的スクリプトがあり、ある程度、学習することができる。
このスクリプトなどの状況を正しく理解しているが、使うべき言語表現を間違えた場合を「言語語用論的誤り」といい、状況事態を理解できず、深層の誤解に基づく誤りを「社会語用論的誤り」という。
「モノリンガル・レベル」とは、日本的レベルでアメリカ人の言動のすべてを考えたり、西洋的スキーマで日本人を判断したりするレベル。
「インターカルチュラル・レベル」とは、文化と文化の関係について客観的に知識として知っているレベル。
「超文化的レベル」とは、個々の文化の中にとどまらず、それを超えた普遍的スキーマを活性化して、異文化コミュニケーションを調整するレベル。
異文化理解とは相互的なものであり、「異文化間調整能力」が必要で、文化の違いを超えて、「普遍的スキーマ」(例えば思いやり)を活性化させることが必要。
私の評価としては、★★(二つ星:読めば)(最大は五つ星)
何か、もっとなるほどと思うことを言い出すのかと思うと、最後まで常識的な話で終始する。
わざわざスキーマ理論なるものを持ち出さなくても、分かることをあまり意味のない図を書いて説明している。
アメリカ人はトイレのドアが閉まっていれば誰かが入っているというスキーマがあるという。アメリカの一般家庭では、誰も使っていないトイレのドアは開けておくのが常識だそうだ。私は、ドアというものは閉めておくのが通常状態だと家中のドアを(それ程ないが)閉めて歩いていたのだが。そもそもトイレのドアを開けておくのには抵抗がある。そう言えば、欧米のトイレの下側は空いているし、女の子など座りながら隣と話すこともあるらしい。
吉田研作(よしだ・けんさく)
1948年京都生まれ。上智大学修士課程修了。ミシガン大学博士課程修了。
上智大学外国語学部教授、上智大学国際言語情報研究所所長。
専門は、応用言語学。NHKTV「英会話Ⅰ」の監修、講師など。文部科学省の「英語が使える日本人」の育成プロジェクトに関与。
著書は「外国人と分かり合う英語--異文化の壁を越えて」(筑摩書房)など。