米原万里著『ガセネッタ&シモネッタ』(2000年12月10日文藝春秋発行)を読んだ。
ロシア語通訳として活躍中の著者が国際会議の席上で仕入れたスリリングかつ笑える“言葉と通訳”上の小咄満載の傑作エッセイ集
とあり、「担当編集者より」にはこうある。
ロシア語会議通訳&エッセイストとして活躍中の米原さん。エッセイを書くようになったきっかけは「通訳という仕事には喜劇の条件が全部揃っている。 (略) 素っ頓狂な出来事や耳目を疑うような話がゴロゴロ転がっている。 (略) こういうこと、通訳仲間だけで抱腹絶倒しているだけじゃあもったいない」と思ったためだそうです。国際会議は、まさに異文化交差点。大マジメに議論を闘わせている反面、思い切り人間くさいダジャレやガセネタ、シモネタの宝庫でもある。それを包丁さばきも鮮やかに米原シェフが料理します。(YF)
訳しにくく本来天敵のはずの駄洒落を好む通訳が多い。
米原さんは、同時通訳ならぬ「ドジ通訳」と自己紹介した方がよいと勧められた。
身持ちの固いイタリア女に鍛えられたイタリア男の情熱的な口説き、
「ああ、こんな絶世の美女、生まれて初めてだ」「明日にでも結婚してくれなきゃ身の破滅だ」
も、イタリア女の意識に届くころには「やあ、こんにちは」程度の挨拶言葉に「自動翻訳」されている。
「国際会議でインド人を黙らせ、日本人に語らせることができたら、議長として大成功」
「チボー少年と人魚姫」
米原さんはかって全く理解できないロシア語の教室に放り込まれ、不当な仕打ちに反論できず、皆と一緒に笑えず、逃げ出すこともできず、10歳にもならないのに肩こりと片頭痛に悩まされた。
激しいいたずらで授業を壊し続ける悪餓鬼チボー少年に対し、ある先生が激しく怒り、「これ以上つけ上がると、その芋面、対称形にしたやっからな!」と迫力のセリフを吐いた。その直後、皆が爆笑し、そしてチボーも吹き出した。前回授業で「対称形」について習ったこともあって、チボーも話がはじめて理解できたのだ。以後彼は大人しくなった。
皆と同時に先生の言葉が理解でき、皆と一緒に笑えたのだ。
人間は、他者との意思疎通を求めてやまない動物なのだ。少女期にこんな体験ゆえにわたしはいまの職業を選んだのかもしれない。
私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)
エッセイとしてのレベルは、高くないし、品もない。米原さんのエッセイには優れたものも多いし、このエッセイ集では、遠慮会釈なく、あけすけに、えげつなく、通訳仲間内の話をぶちまけている。これもまた、米原さんの一面として彼女を大きなものにしていると思う。
この種の話を好まない人もいるだろうし、そうゆう人もいて欲しい。そうでない私のような人間には、ただただ単純に面白くお勧めだ。
それにしても、神に愛された彼女の56歳での死は早すぎる。
米原万里(よねはら・まり)
1950年東京生まれ。父親は共産党幹部の米原昶。少女時代プラハのソビエト学校で学ぶ。
ロシア語の会議同時通訳を20年、約4千の会議に立会う。
著書に、『不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か』(読売文学賞)、『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』(大宅壮一ノンフィクション賞)、『オリガ・モリソヴナの反語法』(Bunkamuraドゥマゴ文学賞)、『米原万里の「愛の法則」』、『マイナス50℃の世界』
2006年5月ガンで歿。
実妹のユリは井上ひさしの後妻。