湯川豊編『須賀敦子エッセンス 1 仲間たち、そして家族』(河出書房新社2018年5月30日発行)を読んだ。
イタリア文学者でエッセイの名手だった須賀敦子のかっての担当編集者・湯川豊が、須賀敦子没後20年を記念して全集から厳選、編纂した短編集。
「須賀の文学世界の入り口でもあり、同時に核心でもある諸篇」
『ミラノ 霧の風景』より
「ガッティの背中」:ガッティが死んだで始まる。個性豊かなガッティとの出会い、才気にあふれ、冗談好きなガッティのダイナミックな活動期、疑い深くなって加速度的な下降期、キャンディーを嬉しそうに頬張る心を病んだホームでの最後の出会い。
「遠い霧の匂い」「アントニオの大聖堂」
『コルシア書店の仲間たち』より
「入口そばの椅子」:コルシア書店の大切なパトロンで、ミラノの名家のツィア・テレーサは皆の尊敬を集め、大切にされていた。
握手をするときに、手にキスを受けることになれている彼女は、手のひらを下にして、ふわっとこちらの手にゆだねてくる。
中国の文化大革命の余波を受けて、ヨーロッパの若者を揺り動かした革新運動が、書店にも押し寄せて、あっというまにすべてを呑みこんだ。既存価値のひとつひとつが、むざんに叩きつぶされ、政治が友情に先行する、悪夢の日々がはじまった。
入口そばにだれかが置きわすれた椅子にすわって、ぼんやりほほえんでいたツィア・テレーサ。それが、日本に帰ることを決めた私の、さいごに見た彼女だった。……おや、どなたでしたっけ。 きらめきを失ったツィア・テレーサの大きな目が、宙をまさぐり、小さなレースのハンカチをにぎった骨太の手が、ひざのうえでかすかにふるえていた。
「銀の夜」:ダヴィデ・マリア・トゥロルドは有名な詩人で、教会からロンドンに追放された革新的司祭だった。
「夜の会話」
『ヴェネツィアの宿』より
「カティアが歩いた道」「ヴェネチアの宿」「夜半のうた声」
「旅のむこう」:結婚して日本に帰国し、三週間滞在して帰国するとき、
横文字の苦手な母のためにいつもしたように、ミラノの家の住所を書いた封筒を一束、居間に持っていくと、母はその宛名をじっと見つめながら言った。
「ミラノなんて、おまえは、遠いところばかり、ひとりで行ってしまう」
(この項、向田邦子さんの「字のない葉書」を思い出した。)
「オリエント・エクスプレス」
「アフォデロの野をわたって」:結婚したベッピーノに折に触れて死の影をみて、冷静さを失い怯える須賀さん
『トリエステの坂道』より
「雨のなかを走る男たち」:夫の貧しい鉄道労働者の家族たちの話
「キッチンが変わった日」「ガードのむこう側」「マリアの結婚」「セレネッラの咲くころ」
私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)
本当は五つ星だが、これはあくまで須賀敦子入門編。美しいエッセイがいっぱいのそれぞれの原典を読んでもらいたいので四つ星にした。
須賀さんは、翻訳で文章力を磨き、経験豊かな60歳になってから、20年以上昔のことを書いたので、余裕を持って、しっとりと懐かしさあふれる美しい文章が書けたのだと思っていた。
しかし、描く人物像が内面までくっきりと描写されていて、仲間や家族との距離感の取り方の巧みさに、今回あらためて感心した。十分な愛情を持ちながら、彼らを一人の人間として冷静に眺めているからこそ、見事に描き切っているのだろう。
私の「須賀敦子の世界展へ」見学記録
湯川豊(ゆがわ・ゆたか)
1938年新潟生まれ。慶應義塾大学卒業後、文藝春秋入社。須賀敦子担当の編集者だった。「文学界」編集長、同社取締役を経て東海大学教授、京都造形芸術大学教授。
2010年『須賀敦子を読む』で読売文学賞。
著書『イワナの夏』『本のなかの旅』『丸谷才一を読む』『星野道夫・風の行方を追って』など。