監修・裾分一弘、特別協力・田辺清『アート・ビギナーズ・コレクション もっと知りたいレオナルド・ダヴィンチ 生涯と作品 改訂版』(2018年3月10日改訂版、東京美術発行)を読んだ。
はじめに レオナルド研究この10年(田辺清)
20世紀半ばのオークションでわずか45ポンドの値しかつかなかった「男性版モナ・リザ」と称される「サルバトーレ・ムンディ」がアラブ首長国連邦のアブダビ文化観光局に504億円で落札され、話題となった。展覧会も盛況で、まだまだレオナルド研究は進んでいる。
素描の真作も発見されている
「レオナルドは、ことのほか素描(デッサン)を重視した。」
レオナルドの素描は約600枚といわれる。失われたもののあるが、「美しき花嫁」のように真作と判定されたものもある。
波乱の運命をたどった手稿
現存する手稿は約8000ページ。本来は倍近くあったと推測される。
第1章 修業時代
「受胎告知」はまだ表現が固い。しかし、師匠ヴェロッキョ工房の「キリストの洗礼」の絵で、左下の天使の絵は師匠を越えた力量であることが私にもわかる。他の部分が固く、どこか不自然に感じられるのに対し、柔らかく、自然なのだ。出来上がった作品を見たヴェロッキョは二度と筆をとらなかったという。
熱心な素描家
レオナルドの現存作品は10点前後で、可能性のあるものを含めても40点を超えない。対して素描・素画は現存するだけでも約600枚。時間をかけて素描する勤勉な画家であった。
レオナルドの永遠の女性像
女性を描く場合には、両足はそろえ、両腕はつけ、顔はうつむき加減で傾けるなど、「慎み深い肢体」ととらせることが肝心だと言っている。
第2章 宮廷芸術家としての時代
解剖学への深い関心
画家としての探求心を出発点として、生涯に行った解剖は30体以上。解剖手稿は200枚に及ぶ。後年、法王庁から解剖禁止の命令が出て、出来なくなった。
第3章 研究に打ち込む時代
レオナルドの手稿
当時、絵画や彫刻は学問とはみなされず、「技術」と呼ばれていた。レオナルドは正確に観察し、正確に表現することが必要だと考えていた。つまり、画家となるためには、学問をしなければならなかったのである。この記録が手稿となった。
第4章 晩年の時代
モナ・リザ(ラ・ジョコンド)
本書は、2006年5月30日刊行の初版に、巻頭16ページを増補し改訂。
私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)
ダヴィンチの生涯が要領よくまとめられていた、読みやすい。パラパラと絵や手稿を眺め、簡潔な文を読めば、ダビンチのすべての最小限を知ることができる。さすが、日本のダヴィンチ研究の第一人者(2016年2月91歳で死去)と呼ばれた著者だけのことはある。
「時代を先取りした発明」としてレオナルドの発明・アイデアが、数ページ紹介されている。私はこれらに興味はない。確かに天才だとは思うが、現時点でその内容に意味はない。これに比べ、彼の絵画は現代でも多くの人に感動を与え、巨大な価値がある。
裾分一弘(すそわけ・かずひろ)
1924年11月岡山県生まれ。 2016年2月死去。西洋美術史学者、学習院大学名誉教授。
九州帝国大学文学部哲学科卒。同大学院修了。1958年九州大学助手、1962年武蔵野美術大学助教授、1967年学習院大学文学部教授。95年定年退任、名誉教授。
レオナルド・ダ・ヴィンチ研究の第一人者。
著書『レオナルド・ダ・ヴィンチの「絵画論」攷』、『レオナルド・ダ・ヴィンチ 手稿による自伝』『レオナルドに会う日』『イタリア・ルネサンスの芸術論研究』『レオナルドの手稿、素描・素画に関する基礎的研究』
田辺清(たなべ・きよし)
1952年千葉県生まれ。大東文化大学国際関係学部国際文化学科教授。イタリア・ルネサンス絵画を専門とする。
19978年-81年、ロンドン大学付属コートールド美術研究所に聴講生として留学。1985年成城大学大学院博士課程修了。近年、東西芸術の比較研究などをテーマにした研究も行う