アゴタ・クリストフ著、堀茂樹訳『どちらでもいい』2006年9月、早川書房発行、を読んだ。
裏表紙にはこうある。
私の評価としては、★★☆☆☆(二つ星:読めば)
希望のない絶望の中でわけのわからない不条理の世界が25編の短編、またはショートショートとして繰り返される。訳者もあとがきで、完成度の低い作品が含まれているとはっきり書いているように習作のレベルのものも多い。読んでも読まなくても「どちらでもいい」。
ぱらりとめくったところを引用すると、こうだ。
「訳者あとがき」によれば、アゴタ・クリストフ自身、『悪童日記』『ふたりの証拠』『第三の嘘』三部作にまさる作品はもう書けないと言っていて、年齢や体調を考えるともはや新作が出ることは期待できないという。それならばと、過去のノートに埋もれていた習作のたぐい集めた本を翻訳したのがこの本だ。
「訳者あとがき」にこうあった。
本当にそうだ。だから短編では無理がある。言葉を連ね、嘘を重ねて架空の世界を現実と思わせるには長編でないと。
アゴタ・クリストフ Agota Kristofは、1935年ハンガリー生れ。
1956年のハンガリー動乱のときに、夫と生後4ヶ月の乳児を連れて、オーストリア経由で亡命した。以来、スイスのフランス語圏のヌーシャテル市に在住している。
1986年『悪童日記』で衝撃の文壇デビュー
1988年『ふたりの証拠』
1991年『第三の嘘』
1994年戯曲集『怪物』
1995年『昨日』
1995年戯曲集『伝染病』
2005年『どちらでもいい』
2006年自伝『文盲』
訳者、堀茂樹は、1952年滋賀県大津市生れ。フランス文学者、翻訳家、慶応義塾大学教授。訳書多数。アゴタ・クリストフのほぼすべての作品の翻訳をしている
裏表紙にはこうある。
夫が死に至るまでの、信じられないような顛末を語る妻の姿が滑稽な「斧」。廃駅にて、もはや来ることのない列車を待ち続ける老人の物語「北部行きの列車」。まだ見ぬ家族から、初めて手紙をもらった孤児の落胆を描く「郵便受け」。見知らぬ女と会う約束をした男が待ち合わせ場所で経験する悲劇「間違い電話」。さらには、まるで著者自身の無関心を表わすかのような表題作「どちらでもいい」など、アゴタ・クリストフが長年にわたって書きためた全25篇を収録。祖国を離れ、“敵語”で物語を紡ぐ著者の喪失と絶望が色濃く刻まれた異色の短篇集。
私の評価としては、★★☆☆☆(二つ星:読めば)
希望のない絶望の中でわけのわからない不条理の世界が25編の短編、またはショートショートとして繰り返される。訳者もあとがきで、完成度の低い作品が含まれているとはっきり書いているように習作のレベルのものも多い。読んでも読まなくても「どちらでもいい」。
ぱらりとめくったところを引用すると、こうだ。
あるクラスメートのことを憶えている。彼は非常に巧妙で、私たちの生物の先生の背後に音もなく忍び寄り、そして先生の脊柱に手を突っ込んだかと思うと、先生の神経細胞をするりと抜き取って,私たち皆に配ったのだ。
神経を原材料にすると、かなりの物を製作することが可能だった。例えば楽器だ。・・・
神経を原材料にすると、かなりの物を製作することが可能だった。例えば楽器だ。・・・
「訳者あとがき」によれば、アゴタ・クリストフ自身、『悪童日記』『ふたりの証拠』『第三の嘘』三部作にまさる作品はもう書けないと言っていて、年齢や体調を考えるともはや新作が出ることは期待できないという。それならばと、過去のノートに埋もれていた習作のたぐい集めた本を翻訳したのがこの本だ。
「訳者あとがき」にこうあった。
アゴタ・クルストフは言葉に色を付けない。文章の中でも、生の会話のときも、彼女の言葉は徹頭徹尾、モノクロームだ。
本当にそうだ。だから短編では無理がある。言葉を連ね、嘘を重ねて架空の世界を現実と思わせるには長編でないと。
アゴタ・クリストフ Agota Kristofは、1935年ハンガリー生れ。
1956年のハンガリー動乱のときに、夫と生後4ヶ月の乳児を連れて、オーストリア経由で亡命した。以来、スイスのフランス語圏のヌーシャテル市に在住している。
1986年『悪童日記』で衝撃の文壇デビュー
1988年『ふたりの証拠』
1991年『第三の嘘』
1994年戯曲集『怪物』
1995年『昨日』
1995年戯曲集『伝染病』
2005年『どちらでもいい』
2006年自伝『文盲』
訳者、堀茂樹は、1952年滋賀県大津市生れ。フランス文学者、翻訳家、慶応義塾大学教授。訳書多数。アゴタ・クリストフのほぼすべての作品の翻訳をしている