夏樹静子著『腰痛放浪記 椅子がこわい』(新潮文庫な18-10、2003年8月1日発行)を読んだ。
裏表紙にはこうある。
「夏樹静子のお葬式を出しましょう」──苦しみ抜き、疲れ果て、不治の恐怖に脅かされた闘病の果てに、医者はこう言った。時には死までを思い浮かべた鋭い腰の疼痛は、実は抑制された内なる魂の叫びだった。そして著者もいまだに信じられないという、劇的な結末が訪れる。3年間の地獄の責め苦は、指一本触れられずに完治した。感動の腰痛闘病記。『椅子がこわい─私の腰痛放浪記』改題。
著者、夏樹静子は1993年からの約3年間、原因不明の激しい腰痛と異様な症状や障害に悩まされた。この本は、「この記録は、もしかしたら私の遺書になるかもしれない・・・」で始まる1995年の日記から始まる。
激しい腰痛で、「朝から晩まで、ほとんどの時間、身体をエビのように曲げてジッと横たわって堪えている以外に何もできない。」
夏樹静子は、結婚後、1969年、30歳で再び書き始めたときは2歳と0歳の子供がいた。
37歳で連載小説を何本も抱えてひたすら書いた。
1985年、46歳、頭の奥で蝉が鳴いているような音が絶え間なく聞こえたが、その音に慣れることで解決した。
1988年から目の疲れと痛みでろくに目を開けていられなくなった。
1993年54歳になって腰痛が始まった。
当初はただ椅子に座れないだけだった。まもなくひどくなり、整形外科も、ハリ・お灸も、低周波も効かず、腹這いになったり、立ったまま原稿を書いたりしたが、痛く無い時間がほとんどなくなった。気功などあらゆる治療を試したが効かなかった。仕事にあくまで執着しつつ、次第にインチキくさいものにも頼っていく。世の中に腰痛に悩む人は多く、同時に大変な名医も多いのだった。
この激しい腰痛が心因性だとは全く受け付けられない夏樹さんは、ついに、内科と心療内科の平木英人医師に出会い、あくまで心因性を否定し続ける著者にも奇跡が起こる。
初出:『椅子がこわい―私の腰痛放浪記』(1997年6月文藝春秋/ 2000年6月文春文庫)を改題し、2003年8月新潮文庫に。
なお、この経験を経て、いくつかの心療内科を訪ねて書いたのが『心療内科を訪ねて―心が痛み、心が治す』(2003年8月 新潮社 / 2006年8月新潮文庫)。
私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)
腰痛の経験が無い人はいかに痛みが激しいと書いてあっても、「痛いんだろうな」と思うだけで実感がない。
また、様々な治療法が登場し、なかにはインチキじみたものもあるが(いずれの医療者も実名(多分))、どれにもまじめに精一杯対応する著者の真面目さ、熱中ぶりに、「こうゆう人が心身症になるのだろうな」と私は安心する。
明るく向上心が強いが、負けん気も強く、せっかち、早口、完全主義者でワーカーホリックの著者の潜在意識が悲鳴を上げて本人に知らせているのに気づいてもらえず、結局もう仕事ができないように激しい腰痛を起こしていたのだ。なんたる人間の心の不思議!
メモ
啐啄同時(そつたくどうじ):禅で機が熟して悟りを開こうとしている弟子に師がすかさず教示を与えて悟りの境地に導くとこと。
ヒナが孵るときに、ヒナが内側から殻をつつく音と同時に親鳥が殻を外からつつくと殻が破れる。
夏樹静子(なつき・しずこ)
1938年東京生れ。慶應義塾大学英文科卒。
在学中からNHKの推理番組の脚本を手掛ける。結婚で一時中断。
1969(昭和44)年江戸川乱歩賞に『天使が消えていく』で応募し、執筆再開。
1973年、『蒸発』で日本推理作家協会賞
1989(平成元)年に仏訳『第三の女』でロマン・アバンチュール大賞
2006年、日本ミステリー文学大賞を受賞。
その他『Wの悲劇』『白愁のとき』『茉莉子』『量刑』『見えない貌』『往ったり来たり』『心療内科を訪ねて―心が痛み、心が治す』。
多くのサスペンス物などTVドラマ脚本を書く。
本名出光静子で、夫はあの出光の一族。
2016年3月心不全で死亡。