hiyamizu's blog

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南木佳士「天地有情」を読む

2009年04月13日 | 読書2

南木佳士(なぎけいし)著「天地有情」2004年1月岩波書店発行を読んだ。

中年期うつと森田療法」を読んだとき、うつからの回復例として作家の南木佳士氏の場合が紹介されていた。



南木氏が末期肺ガン患者たちを看取る内科医としての生活の中で芥川賞を受賞し、心身ともに疲労しきったときに、強烈なパニック発作を起こし、初期治療の遅れからうつ病になった。そして、「どうしようのない自分をありのままにさらけ出し、以前の元気な姿に戻ろうとあせらなくなった頃からいくらか症状も軽くなってきた。・・・すべての不幸は、己もその一部に過ぎない有情なる自然を制御可能と思い上がることから始まるようだ」

図書館で「天地有情」という南木佳士のエッセイ集を見つけ、読んでみた。

天地有情とは、南木氏がうつ病のとき最良の薬になった哲学者大森荘蔵氏の言葉だ。

自分の心の中の感情だと思い込んでいるものは、実はこの世界全体の感情のほんの一つの小さな前景に過ぎない。・・・暗鬱な梅雨の世界は、それ自体として陰鬱であり、その一点景としての私も又陰鬱な気分になる。・・・簡単に云えば、世界は感情的なのであり、天地有情なのである。その天地に地続きの我々人間も又、その微小な前景として、其の有情に参加する。それが我々が「心の中」にしまい込まれていると思い込んでいる感情に他ならない。

2000年から2003年にかけていろいろなメディアに掲載されたエッセイをまとめた本だ。題は、根を失った百年;信州人の選択;天地有情;厳寒の日;ふるさとの裏山;パニック障害とつきあって十年;東京の過剰な灯り;喜劇の鉄槌;本を読む元気;小説の背景としての故郷などだ。

10年近い闘病の中で、不調な心身に次第になじみ、発病前とは違った形に回復してきた。
共に苦労してきた同期の医師がガンで亡くなる話、子どもの頃の想い出の土地と人びとの話、最悪の体調だったときに書いた小説「阿弥陀堂だより」が映画化されるが試写会に行かない話、回復してから休日ごとに奥さんと山歩きする話など、辛苦の季節を通り抜けて、穏やかな心境に至るエッセイ集。



南木佳士は、1951年群馬県生まれ。秋田大学医学部卒業。小説家・内科医。「破水」で文学界新人賞、「冬の水練」「信州に上医あり」「八十八歳の秋」「ダイヤモンドダスト」で芥川賞受賞。「医学生」「阿弥陀堂だより」「海へ」「神かくし」「急な青空」。



私の評価としては、★★☆☆☆(二つ星:読めば)



南木氏がかかった精神科医は、研修医のころ教えたことのある医師で、内科ではあまり出来のよくない医師だった。自殺したくなるという南木氏に、彼は、最後に、「絶対に治る病気なんですから、それで死んだら喜劇ですよ」と念を押してくれた。
南木氏は書いている。
「わたしを救ってくれたこの言葉を反芻するたびに、戦争中、飯を食えなくなった戦友たちから先に死んでゆくのを見てきたという末期肺癌の患者さんが、亡くなる前日まで懸命に飯を食べていた姿を必ず思い出す」

南木氏の居た世界は、あまりにも過酷な世界だ。それだけに、今、辛い状況にある人は、この本で癒されると思う。



南木氏は、我々は急ぎすぎていると言っているのだろうか。
しかし、もともとゆっくり仕事していて、退職してからはあまりにものんびりした日々を過ごす私は、若いうちは自分のために、どんどん働けばよいと思ってしまう。
20歳から50歳まではしっかり働き、60歳まではブレーキをかけ、70、80歳まではのんびり過ごす。
もちろん、南木氏のようにあまりにも過酷な仕事を掛け持ちするようなことは無謀だと思うが、通常の仕事なら長時間でなく、密度濃く、集中して働くことは必要だと思う。真面目とは程遠いのでうつ病にかかる恐れのない私はそう思う。


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