瀬戸内寂聴「秘花」(ひか)2007年5月 新潮社発行を読んだ。
題名の由来であるが、世阿弥が残した「風姿花伝」に「秘すれば花」の言葉があるらしい。本書の中では、父、観阿弥が「秘すれば花なり。秘せずば花なるべからず」と言ったとしている。
室町時代の能楽師 観阿弥(かんあみ)の子である世阿弥(ぜあみ)の生涯を描いている。世阿弥は、12歳のとき17歳の三代将軍足利義満に美貌を見初められ寵愛を受ける。以後、観阿弥・世阿弥親子の観世座は人気絶頂となる。
世阿弥の次男(実子)元雅は才能があったが若くして死に、三男元能は出家する。そして長男(養子)元重によって世阿弥は地位を脅かされる。やがて、観世座の人気が落ち、気まぐれで横暴な六代将軍義教(よしのり)から世阿弥は佐渡に流される。72歳となっていた世阿弥は、自然に恵まれ、人情の濃い佐渡で、島の女性・沙江をそばに置き、つましい生活を送るうち、彼ははじめて心の平安を得てゆく。しかしながら、芸一筋の情熱は常に失わず、耳目が不自由になってからも謡と仕舞の稽古を続け、新しい能の創作に取り組む
私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)。能楽をはじめ芸事が好きな人、秘めやかなエロチシズムただよう寂聴世界のファンにはこたえられない一冊だろう。能の一節も何度となく出てくる。
ほとんど資料がない世阿弥最後の十年間を、85歳になった寂聴さんが4年の歳月をかけ大胆に創造する。70過ぎて始めて心静かな生活を得て、しかも芸への情熱を失わずにいる世阿弥の姿からは、近年の寂聴さん自身を浮かび上がらせる。
表紙のカバーは、おどろおどろしくはないが、とても本とは思えない絵でいかにも横尾忠則。
――――――――――――――
「これを書いてもう力尽きたと思った。でも、創作の泉は空っぽになったのに、また水が湧(わ)いてくるのを待っている自分がいます。生きている間は書くんでしょうね。あまりの忙しさにもう一度出家したいと思ったり、島流しにあこがれたりするけれど、私はあの世へいっても、きっとものを書いているでしょう」
(2007年5月15日 読売新聞)
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寂聴さんに乾杯!
題名の由来であるが、世阿弥が残した「風姿花伝」に「秘すれば花」の言葉があるらしい。本書の中では、父、観阿弥が「秘すれば花なり。秘せずば花なるべからず」と言ったとしている。
室町時代の能楽師 観阿弥(かんあみ)の子である世阿弥(ぜあみ)の生涯を描いている。世阿弥は、12歳のとき17歳の三代将軍足利義満に美貌を見初められ寵愛を受ける。以後、観阿弥・世阿弥親子の観世座は人気絶頂となる。
世阿弥の次男(実子)元雅は才能があったが若くして死に、三男元能は出家する。そして長男(養子)元重によって世阿弥は地位を脅かされる。やがて、観世座の人気が落ち、気まぐれで横暴な六代将軍義教(よしのり)から世阿弥は佐渡に流される。72歳となっていた世阿弥は、自然に恵まれ、人情の濃い佐渡で、島の女性・沙江をそばに置き、つましい生活を送るうち、彼ははじめて心の平安を得てゆく。しかしながら、芸一筋の情熱は常に失わず、耳目が不自由になってからも謡と仕舞の稽古を続け、新しい能の創作に取り組む
私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)。能楽をはじめ芸事が好きな人、秘めやかなエロチシズムただよう寂聴世界のファンにはこたえられない一冊だろう。能の一節も何度となく出てくる。
ほとんど資料がない世阿弥最後の十年間を、85歳になった寂聴さんが4年の歳月をかけ大胆に創造する。70過ぎて始めて心静かな生活を得て、しかも芸への情熱を失わずにいる世阿弥の姿からは、近年の寂聴さん自身を浮かび上がらせる。
表紙のカバーは、おどろおどろしくはないが、とても本とは思えない絵でいかにも横尾忠則。
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「これを書いてもう力尽きたと思った。でも、創作の泉は空っぽになったのに、また水が湧(わ)いてくるのを待っている自分がいます。生きている間は書くんでしょうね。あまりの忙しさにもう一度出家したいと思ったり、島流しにあこがれたりするけれど、私はあの世へいっても、きっとものを書いているでしょう」
(2007年5月15日 読売新聞)
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寂聴さんに乾杯!