村上春樹著『職業としての小説家』(2015年9月17日スイッチ・パブリッシング発行)を読んだ。
村上さんの友人で著名な翻訳家の柴田元幸さんが帯に書いている。
これは村上さんが、どうやって小説を書いてきたかを語った本であり、それはほとんど、どうやって生きてきたかを語っているに等しい。だから、小説を書こうとしている人に具体的なヒントと励ましを与えてくれることは言うに及ばず、生き方を模索している人に(つまり、ほとんどすべての人に)総合的なヒントと励ましを与えてくれるだろう――何よりもまず、べつにこのとおりにやらなくていいんだよ、君は君のやりたいようにやるのが一番いいんだよ、と暗に示してくれることによって。
表紙のかっこよい村上さんの写真は荒木経惟による。さすが!
最初の作品『風の歌を聴け』は、1978年4月神宮球場のヤクルト・スワローズ開幕戦で先頭打者のヒルトンが二塁打を打ったときに「そうだ、僕にも小説がかけるかみしれない」との思いが空から落ちてきた。
店の仕事を終えてから台所のテーブルで書いた。書き上げた物は読んでいて面白くない。「文学的」な姿勢から離れるために英文タイプライターを使い、英語で書いてみた。約一章分の文章を日本語に「翻訳」していき、新しい自分独自の文体を見つけた。
小説を書いているとき、「文章を書いている」というよりはむしろ「音楽を演奏している」というのに近い感覚がありました。僕はその感覚を今でも大事に保っています。
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最初の小説を書いたときに感じた、文章を書くことの「気持ちの良さ」「楽しさ」は、今でも基本的に変化していません。
僕が最初の小説『風の歌を聴け』を書こうとしたとき、「これはもう、何も書くことがないということを書くしかないんじゃないか」と痛感しました。・・・とにかくありあわせのもので、物語を作っていこうじゃないかということです。
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ここで僕が心がけたのは、まず「説明しない」ということでした。それよりはいろんな断片的なエピソードやイメージや光景や言葉を、小説という容れ物の中にどんどん放り込んで、それを立体的に組み合わせていく。
長編小説を書く場合、一日に四百字詰原稿用紙にして、十枚見当で原稿を書いていくことをルールとしています。
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第一稿を終えると、少し間を置いて一服してから(・・・だいたい一週間くらい休みます)、第一回目の書き直しに入ります。僕の場合、頭からとにかく全部ごりごりと書き直します。・・・その書き直しに、たぶん一か月か二か月はかかります。・・・二回目の書き直しに入ります。これも頭からどんどん書き直していく。ただし今度はもっと細かいところに目をやって、丁寧に書き直していきます。
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そしてだいたいこのあたりで、一度長い休みを取ることにしています、できれば半月から一か月くれいは作品を抽斗にしまいこんで、・・・。
しっかり養生を済ませたし、・・・まず奥さんに原稿を読ませます。・・・
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出版社に渡してゲラになってからも、・・・真っ黒にして送り返し、・・・また真っ黒にするという繰り返しです。
初出:第一回から第六回までは「MONKEY」vol.1~vol.6、第十二回は「考える人」2013年夏号に掲載。他は書き下ろし。
私の評価としては、★★★★★(五つ星:是非読みたい)(最大は五つ星)
村上さんは、これまでも自分の小説の書き方をかなり具体的に語ってきたし、自分の歩んで来た道を部分的に語ってきた。しかし、この本では、極めてオープンに、正直に小説の書き方、自分の生活ぶりを語っている。村上ファンはもちろん、そうでない人にも、村上さんの依怙地なまでに自分を貫く生き方には興味をもつだろう。
なにしろ、高校生で英語のペーパーブックを一山いくらで買って読み漁り、ジャズに入れ込み、やがて勤めることなくジャズ・バーを開店する。小説家になっても文壇から距離を置き、外国へは自ら積極的に売り込み活動をする。
それにしても、村上さんの批評家アレルギーは強烈だ。まあ確かに、村上さんの小説は「軽い」だの、「内容がない」だの、「翻訳調」だと言われていた。とくに、初期の、世界的評価を受ける前は。実は私もそう思っていたし、『ノルウェイの森』以外は夢想的(ファンタジー?)な要素が強くて好きになれない。しかし、村上さんのエッセイなどの語り口は極めて正直で、解りやすく、その生き方の徹底ぶりには好感が持てる。
村上春樹(むらかみ・はるき)
1949年京都市生まれ、まもなく西宮市へ。
1968年早稲田大学第一文学部入学
1971年高橋陽子と学生結婚
1974年喫茶で夜はバーの「ピーター・キャット」を国分寺駅南口のビルの地下に開店。
1977年(?)千駄ヶ谷に店を移す。
1979年 「風の歌を聴け」で群像新人文学賞
1982年「羊をめぐる冒険」で野間文芸新人賞
1985年「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」で谷崎潤一郎賞
1986年約3年間ヨーロッパ滞在
1991年米国のプリンストン大学客員研究員、客員講師
1993年タフツ大学
1996年「ねじまき鳥クロニクル」で読売文学賞
1999年「約束された場所で―underground 2」で桑原武夫学芸賞
2006年フランツ・カフカ賞、フランク・オコナー国際短編賞、世界幻想文学大賞
2007年朝日賞、早稲田大学坪内逍遥大賞受賞
2008年プリンストン大学より名誉博士号(文学)、カリフォルニア大学バークレー校よりバークレー日本賞
2009年エルサレム賞、毎日出版文化賞を受賞。スペインゲイジュツ文学勲章受勲。
2011年カタルーニャ国際賞受賞
その他、『蛍・納屋を焼く・その他の短編』、『若い読者のための短編小説案内』、『めくらやなぎと眠る女』、『走ることについて語るときに僕の語ること』『村上春樹全作品集1979~1989 5 短編集Ⅱ』
翻訳、『さよなら愛しい人』、『必要になったら電話をかけて』、『リトル・シスター』、『恋しくて』
エッセイ他、『走ることについて語るときに僕の語ること』、『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997-2009』、『日出る国の工場』、『おおきなかぶ、むずかしいアボカド 村上ラヂオ2』
『雑文集』
「村上さんのところ」 (読者からの質問メール(2週間で3万通以上)を村上さんが全部読んで、一部に答えるという企画)
目次
第一回 小説家は寛容な人種なのか
第二回 小説家になった頃
第三回 文学賞について
第四回 オリジナリティーについて
第五回 さて、何を書けばいいのか?
第六回 時間を味方につける──長編小説を書くこと
第七回 どこまでも個人的でフィジカルな営み
第八回 学校について
第九回 どんな人物を登場させようか?
第十回 誰のために書くのか?
第十一回 海外へ出て行く。新しいフロンティア
第十二回 物語があるところ・河合隼雄先生の思い出
あとがき