かぶれの世界(新)

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天邪鬼の戦後75年 自助無くして誰が助ける

2020-08-11 19:56:31 | 国際・政治
コロナ感染第2波が依然として増加している為、今年の第二次世界大戦終結75年の行事はいささか尻切れトンボに終わった。日本では終戦記念行事とか原爆反対運動が報じられただけだ。天邪鬼の私はこういう時こそ感情的にならず、冷静に国の安全保障を考えることが出来る時だと思う。

当面の議論は終戦と直接関係ないが、突然のイージス・アショア配備停止と、それに代わり「相手領地内の弾道ミサイル等の阻止能力」として敵基地攻撃能力が検討され論議を呼んでいる。今後も続きそうだ。北朝鮮のミサイル開発や中国のミサイル配備状況を考えれば放置できないと私も思う。

だが、国民の声は必ずしもそうではない。その前にコロナ対策をやるべきという声のようだ。では国の安全保障はどうすべきかと聞くと、私には具体的な答えが返ってこないように感じる。なんとか仲良くやって武力対決を避けて欲しいみたいな希望的で曖昧な考えだ。

日本の安全保障は日米安保条約の下で「日本が盾、米国が矛」という役割分担実行される。だが、長らく盾の役割を果たす自衛隊は違憲との主張があった。現在は災害対応などを経て自衛隊の役割を評価する声が増えたが、マスコミや国民の多くは依然自衛隊の武力行使に反対のようだ。

盾の役割がどこまでかコンセンサスができてない。それが敵地攻撃の議論につながっている。ここからが私の考えだが、日本は自国を守る姿勢を明確に示さない限り誰も助けてくれない。日米安保条約の約束事とはいえ、自分で守る気のない日本を米国兵が血を流して守るなんてありえない。

私のこの手の都合のいい日本的平和の解釈は通用しないと思う。別に国と国の関係じゃなくてもいい。子供の頃からの親友がケンカして逃げたのに、私が親友に代わってケンカ相手とやりあうなんて考えられない。似たような話が戦闘機が日本国内で墜落した時、知事が米兵の生命を心配せず墜落を非難する。これを聞いた兵士は日本を守るなんて金輪際勘弁してくれと思うはずだ。

日本人は自ら血を流してでも自らを守る自助の精神を明らかにすべきだ。もちろん法の許す範囲でなければならないが。戦争になるような対応は避けるべきだ。だが、血を流してでも自らを守る姿勢を見せ、逆に許される範囲で国を挙げて支援する意気を見せるべきと思う。■
コメント
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