かぶれの世界(新)

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寺巡り後の新展開

2020-08-13 21:29:15 | 日記・エッセイ・コラム
回覧板に挟まれたパンフレットを見て偶然始めた故郷の寺巡りは、新しい形に発展した。最後に行ったお寺の先に続く道を辿ると徳森地区に着いた。そこは見たこともない風景で興味が湧き、そこに住む人たちは何をしているか新たな疑問が湧き、次へ次へと歩き続けることになった。

お寺の先にあったのは新興住宅地だった。実家のある日本一小さい城下町の大洲市新谷から、盆地の穀倉地帯若宮地区まで子供時代は田んぼと畑だけだった。この30-40年の間に田畑の真ん中を通る国道沿いを中心に隙間なくお店が並ぶ新興商店街になった。高速道路も繋がった。

その99%はショッピングセンター、ガソリンスタンド、カーディーラー、レストランなどのフランチャイズ店だ。田舎では広い駐車場が必須条件だった。2年前西日本豪雨のため冠水したが、フランチャイズ店は災害に強かった。復興に苦しむ他所と異なり、1年でほぼ全て復旧した。

新興商店街を取り上げた理由は、最後に訪れた真光寺の西の徳森が新興住宅地に大転換してたからだ。私が子供の時の記憶では徳森は国道232号の両側にポツンポツンと農家があった程度だった。だが、いまや平地は全て宅地になり、両側の山裾にも別荘風のお洒落な家があり様相を変えていた。

殆どの家は昔の農家風の造りではなく、全国どこにでも見られる新工法の住宅だった。何故こんなに沢山の家が出来たか考え、新興商店街で働く人たちの住む家に違いないと思った。専門家によると5年ごとに工法が変わるので、家の造りを見ればいつ頃作られたか分かると教わった。素人の私の目には直近ではなく、住宅の多くは10-20年前頃に作られた家が多いようだった。

徳森の両側の小高い丘を3日かけて歩き結論に到達した。勿論、趣味の山歩きが第一の目的、そこで疑問が湧いて何故か思いながら歩いた結果だ。1日歩き何故こうなのかと疑問が湧き、翌日の山歩きコースが決まる。

最後に偉そうに言うと、米国に単身赴任しレニア山の周りを歩いた頃からの習慣だ。レニア山は富士山と似た形の単独峰で日系人の間ではタコマ富士と呼ばれていた。4000m級で富士山裾野の何倍もある巨大な山なので、夏になるとガイドブックを見て毎週山歩きをした。全コース踏破できる規模の山ではなかった。しかし、その時身に着けたどこでも歩き倒す習慣が未だに残っている。何とか健脚を保ち出来るだけ山歩きを続けたいものだ。■
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