きょう2月21日は、木村義雄十四世名人の生誕日。名人は1905年生まれだから、今年で生誕118年になる。
木村十四世名人の偉業はあらためて述べるまでもない。実力名人制初の永世名人であり、将棋界の礎を作った人物でもある。
木村十四世名人の実力はいかほどだったのか。大山康晴八段や升田幸三八段に名人戦で勝利しているから、やはり相当な強さだったと推測される。
文筆にも長けており、23歳のときには、駒落ち全集「将棋大観」を上梓。その定跡は現在でも広く指され、後年復刻もされた。文字通り、不朽の名著である。
ただ私の年齢でも、木村十四世名人の動く姿はほとんど見ていない。引退後は、朝日新聞社前での名人戦大盤解説が評判だったというが、私は当然見ていない。
テレビでは、早指し将棋選手権のある回で、解説者が大内延介八段(当時)だった。そのときなぜか木村十四世名人が別室にいて、大内八段に「解説がうまいね」と褒め、大内八段がとても恐縮していたのを憶えている。
このあたり、いまの若い将棋ファンが大山十五世名人の動く姿を見ていないのと、同じ感覚だろうか。
ところで私は、木村十四世名人の子孫の方にお目にかかったことがある。その方は目もとのあたりが十四世名人にそっくりで、気品が感じられた。
木村十四世名人は1986年、満81歳の盤寿の年の、11月17日に逝去。言うまでもなく、同日は「将棋の日」である。ヒトは原則的に、亡くなる日は選べない。それなのにこの命日は奇跡的で、将棋の神様がこの日を選んだとしか思えない。まさに将棋一代の人生であった。
木村十四世名人の偉業はあらためて述べるまでもない。実力名人制初の永世名人であり、将棋界の礎を作った人物でもある。
木村十四世名人の実力はいかほどだったのか。大山康晴八段や升田幸三八段に名人戦で勝利しているから、やはり相当な強さだったと推測される。
文筆にも長けており、23歳のときには、駒落ち全集「将棋大観」を上梓。その定跡は現在でも広く指され、後年復刻もされた。文字通り、不朽の名著である。
ただ私の年齢でも、木村十四世名人の動く姿はほとんど見ていない。引退後は、朝日新聞社前での名人戦大盤解説が評判だったというが、私は当然見ていない。
テレビでは、早指し将棋選手権のある回で、解説者が大内延介八段(当時)だった。そのときなぜか木村十四世名人が別室にいて、大内八段に「解説がうまいね」と褒め、大内八段がとても恐縮していたのを憶えている。
このあたり、いまの若い将棋ファンが大山十五世名人の動く姿を見ていないのと、同じ感覚だろうか。
ところで私は、木村十四世名人の子孫の方にお目にかかったことがある。その方は目もとのあたりが十四世名人にそっくりで、気品が感じられた。
木村十四世名人は1986年、満81歳の盤寿の年の、11月17日に逝去。言うまでもなく、同日は「将棋の日」である。ヒトは原則的に、亡くなる日は選べない。それなのにこの命日は奇跡的で、将棋の神様がこの日を選んだとしか思えない。まさに将棋一代の人生であった。