9月4日のLPSA金曜サロンは、石橋幸緒女流王位の指導対局を受けて、さすがの私も、精も根も尽き果てた。そこへ、手合い係である植山悦行七段が、
「一公君、ボクと1局指そうか」
と申し出てくださった。
この当時金曜サロンでは、植山七段の計らいで、会員と1対1の指導対局が指せる特典があった。こちらとしては涙が出るような配慮だったが、石橋女流王位との激闘のあとでは、もう次の対局に全力投球する気力もない。しかし植山七段直々の指名もありがたいことで、私はお受けするよりなかった。
手合いは植山七段の角落ち。1月に同じ手合いで指導を受けたときは、植山七段の序盤のスキを衝いて、終盤までこちらのペースだった。実際植山七段はこの日も、
「一公君と角はつらいなァ」
とボヤいていた。しかし今回はチェスクロックを使っての真剣勝負である。この日まで植山七段は、このシステムの指導対局でサロン会員に全勝中であり、1月のときのような展開にはならないと覚悟していた。
対局開始。上手☖6二銀に下手☗7六歩。以下☖5四歩☗5六歩☖5三銀に、☗7八飛と振ったら、
「飛車を振るのかよォ」
と、またボヤかれた。
私は下手角落ちの1局目は、三間飛車を指すと決めている。これはかつて「将棋ペン倶楽部」にも記したことがあり、ペンクラブ会員ならご存じの方も多いと思う。前局との植山七段との角落ち戦は、植山七段が初手に☖2二飛と振ったので、こちらは居飛車で対抗したのだ。とすると☖5三銀型は、植山七段の、対居飛車用の作戦なのかもしれなかった。
以下駒組みが淡々と進むが、私が☗7五歩と歩の交換にいったのがやや疑問だったか。☖7四金~☖7五歩と位を張られ、指しにくさを感じた。
このときの植山七段は、いつもの朗らかな表情はなりをひそめ、対局に没頭しているさまが見て取れた。体中から「プロ棋士」のオーラを発散していて、それだけで気圧されている自分を感じた。実際、このときの対局を見ていた会員も、いつもとは違う植山七段のオーラを感じたという。
局面は飽和状態になり、私が銀冠から☗2六銀と立ったあと(悪手)、7筋から動く。しかしこれが典型的な無理攻めで、以下は植山七段の手厚い指し回しにジリジリと後退し、相手陣に1枚の駒も侵入できないまま、完敗を喫した。
局後まっさきに戻されたのが以下の局面である。部分図のみ示してみる。
上手:6二王、6四歩、7四金、7五歩、8一桂、8四金、8五歩、9一香、9四歩 持駒:歩…
下手:4八角、6六歩、6七銀、7八飛、8七歩、8九桂、9六歩、9九香
持駒:歩…
ここで私は少考のすえ☗2七銀と上がって、高美濃囲いから銀冠を目指したのだが、植山七段の指摘によると、これは☖6三王~☖7三桂との交換になって、下手が大損。上手はこの2手が指せて安心したという。
「一公君だって、この局面になったら上手をもって指したいでしょ?」
と言う。確かにこの局面になれば、そうですと肯かざるを得ない。
ではどう指すべきだったか。ここは☗7六歩と打ち、☖同歩に☗6五歩☖同歩☗7六銀と出れば、次になんでも☗8四角と切ってバリバリ攻める手を見せて、下手が有望だったという。
☗7六歩~☗6五歩の手順は後に出てきたのだが、☖6三王~☖7三桂と備えられてからでは証文の出し遅れ。下手にとってはここが唯一のチャンスで、1月の角落ち戦では上手の一瞬の不備を衝いて私が仕掛けたこと、この局面で私が考慮時間を使っていたことなどから、植山七段は、「また持っていかれた(つぶされた)か…」とハラハラしていたらしい。
私もここでの開戦は読んだのだが、☗7六銀の瞬間がなんでもないので、指しきれなかった。しかし高美濃から銀冠に組んでも堅さは大して変わらず、その間、上手のほうが価値の高い手を指したわけで、それならこの局面で仕掛ければよかった、という理屈になる。
しかしそれでも植山七段のこと、私が仕掛けたとしても、あれやこれやと下手を幻惑して、最後は勝利を収めたと思う。やはりプロの壁は厚かったということだ。
局後、
「今日は本気を出したからね。でも6割くらいだけど。ガハハハ」
と、植山七段は会心の笑みを見せた。
「6割」と言ったが、アマチュア相手の将棋である。実際は半分の力も出していなかったと思う。ただ、先週、この日と、私が中井広恵天河と石橋女流王位に幸いして浮かれていたものだから、植山七段が本当のプロの力というものを示したのかもしれない。この憶測、当たらずとも遠からずではなかったか。事実私は、プロ棋士の矜持を見た思いだった。
やはりプロとアマの壁は厚い。あらためてそう実感できただけでも、とても勉強になった1局だった。
ちなみに、そんな植山七段の今期の公式戦成績は、2勝6敗である。プロの世界は、本当に恐ろしい。
「一公君、ボクと1局指そうか」
と申し出てくださった。
この当時金曜サロンでは、植山七段の計らいで、会員と1対1の指導対局が指せる特典があった。こちらとしては涙が出るような配慮だったが、石橋女流王位との激闘のあとでは、もう次の対局に全力投球する気力もない。しかし植山七段直々の指名もありがたいことで、私はお受けするよりなかった。
手合いは植山七段の角落ち。1月に同じ手合いで指導を受けたときは、植山七段の序盤のスキを衝いて、終盤までこちらのペースだった。実際植山七段はこの日も、
「一公君と角はつらいなァ」
とボヤいていた。しかし今回はチェスクロックを使っての真剣勝負である。この日まで植山七段は、このシステムの指導対局でサロン会員に全勝中であり、1月のときのような展開にはならないと覚悟していた。
対局開始。上手☖6二銀に下手☗7六歩。以下☖5四歩☗5六歩☖5三銀に、☗7八飛と振ったら、
「飛車を振るのかよォ」
と、またボヤかれた。
私は下手角落ちの1局目は、三間飛車を指すと決めている。これはかつて「将棋ペン倶楽部」にも記したことがあり、ペンクラブ会員ならご存じの方も多いと思う。前局との植山七段との角落ち戦は、植山七段が初手に☖2二飛と振ったので、こちらは居飛車で対抗したのだ。とすると☖5三銀型は、植山七段の、対居飛車用の作戦なのかもしれなかった。
以下駒組みが淡々と進むが、私が☗7五歩と歩の交換にいったのがやや疑問だったか。☖7四金~☖7五歩と位を張られ、指しにくさを感じた。
このときの植山七段は、いつもの朗らかな表情はなりをひそめ、対局に没頭しているさまが見て取れた。体中から「プロ棋士」のオーラを発散していて、それだけで気圧されている自分を感じた。実際、このときの対局を見ていた会員も、いつもとは違う植山七段のオーラを感じたという。
局面は飽和状態になり、私が銀冠から☗2六銀と立ったあと(悪手)、7筋から動く。しかしこれが典型的な無理攻めで、以下は植山七段の手厚い指し回しにジリジリと後退し、相手陣に1枚の駒も侵入できないまま、完敗を喫した。
局後まっさきに戻されたのが以下の局面である。部分図のみ示してみる。
上手:6二王、6四歩、7四金、7五歩、8一桂、8四金、8五歩、9一香、9四歩 持駒:歩…
下手:4八角、6六歩、6七銀、7八飛、8七歩、8九桂、9六歩、9九香
持駒:歩…
ここで私は少考のすえ☗2七銀と上がって、高美濃囲いから銀冠を目指したのだが、植山七段の指摘によると、これは☖6三王~☖7三桂との交換になって、下手が大損。上手はこの2手が指せて安心したという。
「一公君だって、この局面になったら上手をもって指したいでしょ?」
と言う。確かにこの局面になれば、そうですと肯かざるを得ない。
ではどう指すべきだったか。ここは☗7六歩と打ち、☖同歩に☗6五歩☖同歩☗7六銀と出れば、次になんでも☗8四角と切ってバリバリ攻める手を見せて、下手が有望だったという。
☗7六歩~☗6五歩の手順は後に出てきたのだが、☖6三王~☖7三桂と備えられてからでは証文の出し遅れ。下手にとってはここが唯一のチャンスで、1月の角落ち戦では上手の一瞬の不備を衝いて私が仕掛けたこと、この局面で私が考慮時間を使っていたことなどから、植山七段は、「また持っていかれた(つぶされた)か…」とハラハラしていたらしい。
私もここでの開戦は読んだのだが、☗7六銀の瞬間がなんでもないので、指しきれなかった。しかし高美濃から銀冠に組んでも堅さは大して変わらず、その間、上手のほうが価値の高い手を指したわけで、それならこの局面で仕掛ければよかった、という理屈になる。
しかしそれでも植山七段のこと、私が仕掛けたとしても、あれやこれやと下手を幻惑して、最後は勝利を収めたと思う。やはりプロの壁は厚かったということだ。
局後、
「今日は本気を出したからね。でも6割くらいだけど。ガハハハ」
と、植山七段は会心の笑みを見せた。
「6割」と言ったが、アマチュア相手の将棋である。実際は半分の力も出していなかったと思う。ただ、先週、この日と、私が中井広恵天河と石橋女流王位に幸いして浮かれていたものだから、植山七段が本当のプロの力というものを示したのかもしれない。この憶測、当たらずとも遠からずではなかったか。事実私は、プロ棋士の矜持を見た思いだった。
やはりプロとアマの壁は厚い。あらためてそう実感できただけでも、とても勉強になった1局だった。
ちなみに、そんな植山七段の今期の公式戦成績は、2勝6敗である。プロの世界は、本当に恐ろしい。