昨日、「週刊将棋」10月14日号を駅の売店で見たので買おうとしたら、裏1面に「谷川4戦全勝―」とあった。A級順位戦の記事であろう。では表1面は何かというと、渡辺明竜王の写真が大きく載っていた。
渡辺竜王は先週大きな対局をしたか…? と怪訝に思いつつ買ってみると、森内俊之九段との王将リーグ緒戦の模様を伝えるものだった。では注目の女流王位戦第1局はどこに載っているのかと思えば、4、5面だった。
一目、なんだこの台割りは…という感じであった。いくら女流棋戦とはいえ、タイトル戦の女流王位戦である。皮切りの第1局がずいぶん僻地に掲載されて、私は大いに落胆した。
ちなみに全24頁の2、3面は米長邦雄日本将棋連盟会長と、西條耕一・読売新聞文化部記者による、第22期竜王戦七番勝負展望。22、23面は、先ごろ終了した第50期王位戦七番勝負のダイジェストだった。
週刊将棋は日本将棋連盟の発行だから、LPSA所属棋士の勝局を大きく扱いたくない気持ちはよく分かる。しかし週刊将棋はスポーツ紙ではないのだ。竜王戦七番勝負の前哨戦とはいえ、男性タイトル戦序列7位のリーグ緒戦と、女流師弟対決のタイトル戦を較べたら、後者を1面にもってくるのがスジというものではないだろうか。1面が無理なら裏1面と23面。それが無理なら2、3面。それでも無理なら22、23面。いくらでも目立つところに振り分けられたはずである。王位戦のダイジェストなんて、7局までもつれたのだから、もう十分記事になったはずだ。そこでまたダイジェストをもってくるなんて、書かずもがなだ。
もうこの際だから書いてしまうと、最近は読売新聞・西條記者の露出がかなり多くなっている気がする。前述したように、西條記者は今号もプロフィール入りで、米長会長と2頁に亘って座談を展開している。それはいいが、新聞社の一記者として、ちょっと目立ち過ぎではないか。
もう眠たいし、この場を動くのがメンドクサイからいちいち調べないが、いつぞやの「将棋世界」ではカラーページで何がしかをくっちゃべっていたし、第2期マイナビ女子オープンでは、やはり「将棋世界」に、挑戦者決定戦や5番勝負の観戦記を、すべて西條記者が書いていた。
私の勉強不足で申し訳ないが、マイナビを主催する毎コミのビルには毎日新聞が同居している。読売の記者が観戦記を書くのなら、毎日の記者が担当して然るべきではないのか。なぜに西條記者がここまで重用されるのか、私にはまったく理解できない。
新聞記者は記事をコンパクトにまとめる力があり、瑕瑾のない安定感のある文章を書く。しかし同じ人の手による観戦記ばかりでは、いい加減飽きがくるのも事実である。ひょっとして、米長会長と西條記者には、どこかで深い繋がりがあるのか…? と、下種の勘繰りさえしてしまう。まあいいけど。
渡辺竜王は先週大きな対局をしたか…? と怪訝に思いつつ買ってみると、森内俊之九段との王将リーグ緒戦の模様を伝えるものだった。では注目の女流王位戦第1局はどこに載っているのかと思えば、4、5面だった。
一目、なんだこの台割りは…という感じであった。いくら女流棋戦とはいえ、タイトル戦の女流王位戦である。皮切りの第1局がずいぶん僻地に掲載されて、私は大いに落胆した。
ちなみに全24頁の2、3面は米長邦雄日本将棋連盟会長と、西條耕一・読売新聞文化部記者による、第22期竜王戦七番勝負展望。22、23面は、先ごろ終了した第50期王位戦七番勝負のダイジェストだった。
週刊将棋は日本将棋連盟の発行だから、LPSA所属棋士の勝局を大きく扱いたくない気持ちはよく分かる。しかし週刊将棋はスポーツ紙ではないのだ。竜王戦七番勝負の前哨戦とはいえ、男性タイトル戦序列7位のリーグ緒戦と、女流師弟対決のタイトル戦を較べたら、後者を1面にもってくるのがスジというものではないだろうか。1面が無理なら裏1面と23面。それが無理なら2、3面。それでも無理なら22、23面。いくらでも目立つところに振り分けられたはずである。王位戦のダイジェストなんて、7局までもつれたのだから、もう十分記事になったはずだ。そこでまたダイジェストをもってくるなんて、書かずもがなだ。
もうこの際だから書いてしまうと、最近は読売新聞・西條記者の露出がかなり多くなっている気がする。前述したように、西條記者は今号もプロフィール入りで、米長会長と2頁に亘って座談を展開している。それはいいが、新聞社の一記者として、ちょっと目立ち過ぎではないか。
もう眠たいし、この場を動くのがメンドクサイからいちいち調べないが、いつぞやの「将棋世界」ではカラーページで何がしかをくっちゃべっていたし、第2期マイナビ女子オープンでは、やはり「将棋世界」に、挑戦者決定戦や5番勝負の観戦記を、すべて西條記者が書いていた。
私の勉強不足で申し訳ないが、マイナビを主催する毎コミのビルには毎日新聞が同居している。読売の記者が観戦記を書くのなら、毎日の記者が担当して然るべきではないのか。なぜに西條記者がここまで重用されるのか、私にはまったく理解できない。
新聞記者は記事をコンパクトにまとめる力があり、瑕瑾のない安定感のある文章を書く。しかし同じ人の手による観戦記ばかりでは、いい加減飽きがくるのも事実である。ひょっとして、米長会長と西條記者には、どこかで深い繋がりがあるのか…? と、下種の勘繰りさえしてしまう。まあいいけど。