一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

金曜サロン・中倉宏美女流二段③

2009-10-17 01:57:34 | LPSA金曜サロン
9月18日のLPSA金曜サロン、昼は中倉宏美女流二段、夕方は藤森奈津子女流三段の担当だった。
この日は夜6時半から、将棋ペンクラブ大賞の贈呈式が四ツ谷であり、船戸陽子女流二段も訪れるということで、夕方からそちらに移動することになっていた。したがって、今回の指導対局は中倉女流二段との1局だけとなった。
藤森女流三段に将棋を教えていただけるチャンスを見送るのはつらいが、私が仕事で忙しかったときは、そもそも1日に1局だけの指導対局だったのである。それを思えば、中倉女流二段と盤を挟めるだけでも、多としなければならない。
指導対局開始。と、中倉女流二段から、ウルトラスーパースペシャルなニュースを聞き、私は頭がスパークしてしまった。
私が取り乱しているなか、中倉女流二段が苦笑しながら、「前回は指しかけでしたよね?」と言う。中倉女流二段とは、6月12日の夕方の部で教えていただく機会があったのだが、「夜のナカクラヒロミ」発言で私が対局できる状態でなくなり、指しかけを了承してもらっていたのだ。
その後、次の担当だった8月28日は、中井広恵天河の登場もあって訪れた会員が多く、中倉女流二段と指す時間がなかった。というわけで、今回が3ヶ月ぶりの指導対局となったわけである。そのときの「指しかけ」を、中倉女流二段が覚えていてくれたことが、また嬉しかった。
しかし今回ビッグニュースを聞いて、私はまたもや将棋どころではなくなっていた。ここまで間が空いたのなら、いっそのこと10月23日夜に教えていただきたいところだったが、中倉女流二段直々の申し出があっては、先延ばしにするわけにはいかない。私はポケットから12手目までのメモを取り出すと、ふたりでそれを見ながら、指し手を再現した。2日制タイトル戦の、2日目朝の儀式をやっているようだった。
将棋は中倉女流二段の三間飛車。私は石田流を誘ったが、中倉女流二段はふつうに玉を囲ってくる。そこで私は▲5七銀左からの急戦に出る。しかし私は平常心ではなかった。▲5五歩~▲4五歩と仕掛けるところを、先に▲4五歩と指してしまい、事の重大さに目が覚めた。中倉女流二段は当然△4五同歩。以下▲5五歩には堂々と△同角と取られ、いきおい角交換となったが、この折衝は歩損が残った私の失敗となった。
それでも私は強引に攻めをつなげ、いつの間にかこちらが勝勢となって迎えた最終盤の局面が以下である。これ、中倉女流二段に掲載の許諾を取っていないのだが、ちょっと不可解な図なので、掲げてみる。

上手が△1五竜と引いた局面。ここで私は▲6三金からの詰みを考えたが、上手王がぬるぬると逃げ延びて、どうしても詰まない。そこで▲4五歩と打ったのだが、これが竜と馬の利き道を自ら遮る大悪手。以下△7五金▲5七玉△8九馬とされ、あとは指しても一手一手なので私は投了した。
この将棋はご意見番のT氏が観戦していたので、例によってふたりで検討した結果、▲4五歩ではまず▲2五歩と犠打を放ち、△同竜に▲3五金と竜をしかりつけ、竜が逃げれば▲5三歩成で勝ち、という結論に、このときはなった。
しかしいま改めて見てみると、中倉女流二段の△7五金には、▲5五玉で、私の勝ちである。なぜ▲5七玉と落ちたのか、まったく腑に落ちないのだ。
▲4五歩には△6三桂▲6四銀の交換が入っていたかもしれないが、それでは△7五金がやや甘く、私にも勝機があった。あっそうだ、変化の▲2五歩△同竜▲3五金に△6三桂なら、▲4六銀と上がって下手が残している、という話も、T氏とした記憶がある。
では本譜△7五金に、なぜ▲5五玉の手が検討に上らなかったのかという疑問が再びわいてくる。ボーッと対局していた私の「独り感想戦」ならともかく、何度も書くが、T氏も検討に加わっていたのだ。第三者に、この手が見えないわけがない。
私は対局中に棋譜を取らないので、こういうときに、齟齬が生じる。それなら対局中に取ればいいじゃないかという話になるが、それだと「読み」が分断されるようで、イヤなのだ。
それはともかく、やはり本譜の順がやはり正しいのだろうか。しかしそれなら、中倉女流二段のウルトラスーパースペシャルニュースに、私だけでなく、T氏までおかしくなっていたということになる。
なんだか知らないが、サイン勝負8人目の揮毫がいつの間にかスルッと逃げる、キツネにつままれたような敗戦であった。
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする