時刻は午後2時半を回っている。客足は昨年まで伸びず、八分程度の入りに留まった。中でも女子の入場が少なく、見回しても、女子はひとりしかいない。しかし幹事のA氏は「これでいつもの年に戻ったのです」と冷静だった。
第7局は四段の中年氏と。できれば渡部愛女流初段にも教えていただきたいが、1日に3回も指導対局を受けるのは欲張りであろう。そもそも将棋大会は4時までであり、とりあえずこの将棋を高速で終わらせるしかない。
将棋は私の三間飛車に、四段氏の棒銀となった。△7五歩の仕掛けに私は▲6五歩としたが、角交換後馬を作られ、おもしろくなかった。
私は▲4五歩から▲4六角と打つ。これに四段氏は△9二飛と我慢したが、ここは△6二飛と回り、△6六歩の突き出し(銀取り)を見られたほうがイヤだった。
私の▲7四歩に四段氏は△7二歩。四段氏△7五香の飛車取りに▲5七飛と逃げて局面を眺めてみると、四段氏の飛車、銀、香がひどい形になっている。この時点で私の銀香損だったが、それを補って余りある駒の働きになった。
四段氏は熟考を重ね、時刻は3時半を過ぎた。もう渡部女流初段との指導対局は無理である。もっとも彼女にどうしても教えてもらいたければ、LPSAサロンに行けばよいのだ。
将棋は私が相手玉の桂頭を攻め、私の勝ち。今年は4勝3敗で終了となった。
Fuj氏が来る。彼も4勝3敗だったとのこと。渡部女流初段やアマ強豪のMima氏に優勢な将棋を落としたのが響いたらしい。
4時から表彰式&自己紹介に入る。今年の目玉賞品は中原誠十六世名人や森内俊之竜王・名人(当時)の直筆色紙などだ。今年は10人目、20人目、30人目、40人目の来場者が、優先的に賞品を選ぶ権利を得た。みんな平等、これが将棋ペンクラブのポリシーである。
数人後に私の挨拶。「大沢と申します。ペンクラブ交流会にはよく来てます。私ブログをやってまして、半年ほど休んでたんですが、先月から再開しました。興味のある方は検索してください。
あと、私最近頭が薄くなってまして、でも諦めてないんで、どなたかいい育毛剤があったら教えてください。まだ『四十八歳の抵抗』やりますんで。
賞品は、同じ髪型ということで、熊坂先生の扇子をいただきました」
ちなみに熊坂学四段(当時)の揮毫は、女性的な文字で「夢」とあった。
今年は幹事の紹介もあった。ズラッと10人並んださまは壮観である。この方々がいなければ、会報「将棋ペン倶楽部」はできないのだ。言っちゃあ何だが、棋士が10人並ぶより感激した。
湯川恵子さんのひとこと。「ワタシ女流名人戦の観戦記者をやってるんですけど、きょうのきょうまで、渡部愛さんをワタベ・アイさん、渡辺弥生さんをヤヨイさんと読んでいました」
ずいぶん正直な吐露だが、確かに間違いやすい。
指導棋士の3人も挨拶。渡部女流初段は快活で、毎日が充実しているなと感じた。
40分間の表彰式が終わり、やっと懇親会の開始である。3棋士も引き続き参加してくれる。木村晋介将棋ペンクラブ会長の音頭で乾杯となった。
私の右前には、「将棋ペン倶楽部」常連のS氏がいた。氏の書く短編小説はいつもおもしろく、私は昨年の将棋ペンクラブ大賞で一押ししたほどだ。
女子が何人か入室した。どうも懇親会が目的のようだが、それももちろん歓迎である。
幹事のW氏が来て、いい育毛剤を紹介してくれた。資生堂が販売している「アデノバイタル」である。W氏は効果があったようなので、今度試してみようと思う。
S氏と話をするが、彼は某小説賞で入賞の経歴があり、何本か原稿も書いて、印税収入もあるという。道理でS氏の作品がおもしろいわけだ。その彼とお近づきになれたとは、光栄である。
気が付くと、背後にA氏がいた。A氏と私の「出会い」も似たようなものだったので、お互い顔を見合わせて苦笑した。
向かいにはY氏。彼も文筆業に携わっているようで、何だか文章好きが集まってしまった。
再び石田直裕四段が来場し、みなに改めて挨拶。この機会に顔を売っておくのがよい。
時刻は5時を過ぎ、Fuj氏が私のところへ挨拶に来た。彼は6時からの「わらび将棋教室」に参加するため、早退けするのだ。会員との交流を蹴って、将棋対局のハシゴ。まったく将棋バカというか何というか、私にはできない芸当である。
勝又清和六段が来場した。次の名人戦第4局ではここ将棋会館で中原十六世名人の解説があるようで、その告知で来たようだ。
続いて窪田義行六段も見えた。窪田六段は日ごろからペンクラブを贔屓にしてくださり、いつも顔を見せてくれる。そういえば午前中に神谷広志新八段の姿もあったが、私はこういう先生方を応援したくなるのだ。
バトルロイヤル風間氏の似顔絵制作が始まった。その過程を背後から拝見したが、見事なマジック捌きである。
しばらく経つと、今度は渡部女流初段がモデルとなった。渡部女流初段のような美人は描きにくいだろうと察するが果たしてそうで、1枚目は制作の途中でNGとなった。
ミスター中飛車氏とも久しぶりに話す。お互い、LPSA芝浦サロンには疎遠になってしまった。
新宿の飲み屋「あり」経営者氏とも話す機会を得た。いまは居酒屋の経営より将棋教室の存続に力を入れているようで、その心意気に頭が下がった。
時刻は7時を過ぎ、ここでお開きとなる。部屋は8時まで借りているそうだが、早めに散会するのが、ペンクラブ流である。
みなが片付けをしていると、渡部女流初段と目が合った。
「ブログ再開されたんですね。また読ませていただきます」
社交辞令でも、面と向かって言われればやはりうれしい。愛ちゃんが読んでいると思えば、ブログを書く手にも力が入るというものである。
愛ちゃんは24日に女流王座戦の対局がある。どんどん勝ち抜いてほしい。
バトルロイヤル氏にも話を聞く。
「渡部愛ちゃんを描くのは難しかったですねえ。彼女は表情がころころ変わるんだよね。かわいかったり、美人だったり。だから描く前の顔と描いた後の顔が違っちゃうんですよ。そういう点では、林葉さんと同じタイプの美人ですね。
あと羽生さんね。羽生さんがデビューしたころ、ハブニラミとかあったから、世間は羽生さんが『つり目』のイメージがあったんですよ。私も5年間ぐらい、そう描いてた。でもあるときよく見たら、羽生さん実は垂れ目だったんだよね。それで、以後は修正した。
あとアニマル浜口ね。これも世間のイメージは、アニマル浜口にマユ毛がなかったんだよね。だけど実際は…」
と、ここで別の会員が割り込み、話はそこまでとなった。
私は今年も二次会に参加しなかったので、私の関東交流会はここまで。私は人見知りが激しいのだが、今年は多くの会員と交流を深めることができた。来年は来年の風が吹くが、またの参加を楽しみにしたい。
第7局は四段の中年氏と。できれば渡部愛女流初段にも教えていただきたいが、1日に3回も指導対局を受けるのは欲張りであろう。そもそも将棋大会は4時までであり、とりあえずこの将棋を高速で終わらせるしかない。
将棋は私の三間飛車に、四段氏の棒銀となった。△7五歩の仕掛けに私は▲6五歩としたが、角交換後馬を作られ、おもしろくなかった。
私は▲4五歩から▲4六角と打つ。これに四段氏は△9二飛と我慢したが、ここは△6二飛と回り、△6六歩の突き出し(銀取り)を見られたほうがイヤだった。
私の▲7四歩に四段氏は△7二歩。四段氏△7五香の飛車取りに▲5七飛と逃げて局面を眺めてみると、四段氏の飛車、銀、香がひどい形になっている。この時点で私の銀香損だったが、それを補って余りある駒の働きになった。
四段氏は熟考を重ね、時刻は3時半を過ぎた。もう渡部女流初段との指導対局は無理である。もっとも彼女にどうしても教えてもらいたければ、LPSAサロンに行けばよいのだ。
将棋は私が相手玉の桂頭を攻め、私の勝ち。今年は4勝3敗で終了となった。
Fuj氏が来る。彼も4勝3敗だったとのこと。渡部女流初段やアマ強豪のMima氏に優勢な将棋を落としたのが響いたらしい。
4時から表彰式&自己紹介に入る。今年の目玉賞品は中原誠十六世名人や森内俊之竜王・名人(当時)の直筆色紙などだ。今年は10人目、20人目、30人目、40人目の来場者が、優先的に賞品を選ぶ権利を得た。みんな平等、これが将棋ペンクラブのポリシーである。
数人後に私の挨拶。「大沢と申します。ペンクラブ交流会にはよく来てます。私ブログをやってまして、半年ほど休んでたんですが、先月から再開しました。興味のある方は検索してください。
あと、私最近頭が薄くなってまして、でも諦めてないんで、どなたかいい育毛剤があったら教えてください。まだ『四十八歳の抵抗』やりますんで。
賞品は、同じ髪型ということで、熊坂先生の扇子をいただきました」
ちなみに熊坂学四段(当時)の揮毫は、女性的な文字で「夢」とあった。
今年は幹事の紹介もあった。ズラッと10人並んださまは壮観である。この方々がいなければ、会報「将棋ペン倶楽部」はできないのだ。言っちゃあ何だが、棋士が10人並ぶより感激した。
湯川恵子さんのひとこと。「ワタシ女流名人戦の観戦記者をやってるんですけど、きょうのきょうまで、渡部愛さんをワタベ・アイさん、渡辺弥生さんをヤヨイさんと読んでいました」
ずいぶん正直な吐露だが、確かに間違いやすい。
指導棋士の3人も挨拶。渡部女流初段は快活で、毎日が充実しているなと感じた。
40分間の表彰式が終わり、やっと懇親会の開始である。3棋士も引き続き参加してくれる。木村晋介将棋ペンクラブ会長の音頭で乾杯となった。
私の右前には、「将棋ペン倶楽部」常連のS氏がいた。氏の書く短編小説はいつもおもしろく、私は昨年の将棋ペンクラブ大賞で一押ししたほどだ。
女子が何人か入室した。どうも懇親会が目的のようだが、それももちろん歓迎である。
幹事のW氏が来て、いい育毛剤を紹介してくれた。資生堂が販売している「アデノバイタル」である。W氏は効果があったようなので、今度試してみようと思う。
S氏と話をするが、彼は某小説賞で入賞の経歴があり、何本か原稿も書いて、印税収入もあるという。道理でS氏の作品がおもしろいわけだ。その彼とお近づきになれたとは、光栄である。
気が付くと、背後にA氏がいた。A氏と私の「出会い」も似たようなものだったので、お互い顔を見合わせて苦笑した。
向かいにはY氏。彼も文筆業に携わっているようで、何だか文章好きが集まってしまった。
再び石田直裕四段が来場し、みなに改めて挨拶。この機会に顔を売っておくのがよい。
時刻は5時を過ぎ、Fuj氏が私のところへ挨拶に来た。彼は6時からの「わらび将棋教室」に参加するため、早退けするのだ。会員との交流を蹴って、将棋対局のハシゴ。まったく将棋バカというか何というか、私にはできない芸当である。
勝又清和六段が来場した。次の名人戦第4局ではここ将棋会館で中原十六世名人の解説があるようで、その告知で来たようだ。
続いて窪田義行六段も見えた。窪田六段は日ごろからペンクラブを贔屓にしてくださり、いつも顔を見せてくれる。そういえば午前中に神谷広志新八段の姿もあったが、私はこういう先生方を応援したくなるのだ。
バトルロイヤル風間氏の似顔絵制作が始まった。その過程を背後から拝見したが、見事なマジック捌きである。
しばらく経つと、今度は渡部女流初段がモデルとなった。渡部女流初段のような美人は描きにくいだろうと察するが果たしてそうで、1枚目は制作の途中でNGとなった。
ミスター中飛車氏とも久しぶりに話す。お互い、LPSA芝浦サロンには疎遠になってしまった。
新宿の飲み屋「あり」経営者氏とも話す機会を得た。いまは居酒屋の経営より将棋教室の存続に力を入れているようで、その心意気に頭が下がった。
時刻は7時を過ぎ、ここでお開きとなる。部屋は8時まで借りているそうだが、早めに散会するのが、ペンクラブ流である。
みなが片付けをしていると、渡部女流初段と目が合った。
「ブログ再開されたんですね。また読ませていただきます」
社交辞令でも、面と向かって言われればやはりうれしい。愛ちゃんが読んでいると思えば、ブログを書く手にも力が入るというものである。
愛ちゃんは24日に女流王座戦の対局がある。どんどん勝ち抜いてほしい。
バトルロイヤル氏にも話を聞く。
「渡部愛ちゃんを描くのは難しかったですねえ。彼女は表情がころころ変わるんだよね。かわいかったり、美人だったり。だから描く前の顔と描いた後の顔が違っちゃうんですよ。そういう点では、林葉さんと同じタイプの美人ですね。
あと羽生さんね。羽生さんがデビューしたころ、ハブニラミとかあったから、世間は羽生さんが『つり目』のイメージがあったんですよ。私も5年間ぐらい、そう描いてた。でもあるときよく見たら、羽生さん実は垂れ目だったんだよね。それで、以後は修正した。
あとアニマル浜口ね。これも世間のイメージは、アニマル浜口にマユ毛がなかったんだよね。だけど実際は…」
と、ここで別の会員が割り込み、話はそこまでとなった。
私は今年も二次会に参加しなかったので、私の関東交流会はここまで。私は人見知りが激しいのだが、今年は多くの会員と交流を深めることができた。来年は来年の風が吹くが、またの参加を楽しみにしたい。