1月28日(土)に、将棋ペンクラブ新年会があった。場所はおなじみ、神保町の古書センターである。私は休みを取ったので、何とか参加することができた。
開会は13時だが、定刻に行っても人が集まっていないので、遅刻するつもりである。
湯島で途中下車して、小諸そば(2枚もり)をたぐった。
13時26分にいつもの会場に入ると、木村晋介会長らが一斉にこちらを見た。全員で8名で、すでに将棋を指していた。
これだよ……。私がキッチリ行っても将棋が始まるのが後なのに、こういうときに限って、もう将棋を始めているのだ。
「あけましておめでとうございます」
お互い散文的に挨拶したあと、皆は将棋に戻る。私はもう手持ち無沙汰である。
少人数の町道場あるあるなのだが、客が奇数になってしまい、どれか対局が終わるまで、辛抱強く待つ図だ。
やがて一局終わり、私はKan氏と指すことになった。Kan氏にはよくしてもらっているが対局するのは初めてである。居飛車党っぽいが、どんな将棋を指すのだろうと思った。
振駒で私の先手になり、四間飛車に振った。Kan氏は棒銀に出た。しかし左銀も△6四に上がって、やや作戦がチグハグだ。
私は△6五の銀に▲6六歩と銀を殺して十分、と思ったが、図でイヤな手があった。
それが△8七角で、A▲8八飛は△7七歩成▲同桂△7六銀で後手十分。よってB▲7九飛と引くが、△9八角成▲6五歩△8八馬▲7六飛△8九馬は、後手も指せる。
しかし本譜、Kan氏は△7五銀。私は銀を取り切り、以下も難しい戦いだったが、何とか制することができた。
この将棋のどこかで、A氏が来た。A氏は私に、見てもらいたいものがある、と言った。
見ると国鉄時代の国電の写真で、だいぶ年季が入っている。これらがどの路線か、どの駅か推理してくれ、と言うのだ。
A氏が鉄道好きで、それに関する本を何冊か上梓しているのは知っていたら、ここまでとは思わなんだ。
たとえば私も鉄道好きだがそれは後天的なもので、撮る列車も旅先が100%だ。
だがA氏のそれは通勤電車で、純粋に鉄道への思い入れが窺える。これは勝てないと思った。
しかしこの写真がまったく分からない。年配のKan氏は「これは中野サンプラザだ」と即答する。私は都内の建築物にとんと疎いのだ。
2局目はItou氏と。前回は終盤で私に錯覚があり、無念の逆転負けとなった。今回はまともな将棋を指したい。
将棋はItou氏の中飛車を迎え撃つ。終盤まで優位に進めたのだが、Itou氏の攻めに△4四金と打って受け潰したと思ったら、それを切って▲2一銀と打たれてびっくりした。
これを△同玉は▲4一飛成で即詰み。しかし△2二玉と寄ってギリギリ残していたのは僥倖だった。
私は連敗を免れ、とりあえずホッとした。
3局目は星野氏と。星野氏とは時々指すが、振り飛車党のようだ。
これは私が勝ち、3連勝となった。
最後はA氏と。ただA氏は実戦不足のようで、私に駒落ちを所望してくる。それで、以前にも指した二枚落ちとした。
将棋は私が中盤までうまく指したのだが、そこで攻め合いの道に進めてしまったのがマズかった。A氏にうまく寄せきられて、負け。たとえ駒落ちといえども、いや駒落ちだからこそ、勝ちたかった。
ここで将棋は終わり、これから飲み会である。湯川博士幹事、恵子さんも来て、役者がそろった。
場所は前回と同じ居酒屋である。私の向かいは、忘年会のときと同じ湯川氏。緊張するが、楽しみでもある。
まずは生ビールで乾杯。私はふだん酒は飲まないが、ビールの最初の一口は美味いと思う。
美味しいつまみが出て、話も弾む。
「また何か(会報に)書いてよ」と湯川氏。
「はあ、だけどこの前の大山先生の記事も書けなかったし」
「大山? 何それ」
昨年の忘年会で、私は湯川氏から、大山康晴十五世名人の記事を読みたい、と言われていた。
私はそれが心に引っ掛かりつつもついに取り掛かれなかったのだが、湯川氏はそのことを忘れていたのだ。ま、酒の席では仕方あるまい。
「いま王将戦やってるだろ」
と湯川氏が再び口を開く。
「きょうとあすで、王将戦第3局をやってますね」
「あの雑感を書いてよ、大沢さんなりのさあ。2月の上旬まで待つよ。それなら(3月発行の)会報に間に合うから」
ありがたい申し出ともいえるが、私は現在もブログを書いているし、2月には北海道旅行もある。とてもペンクラブの原稿を書く時間などない。
「はあ、そうですね」
私は適当に返事をしたが、これでいいと思った。どうせこの会話も、湯川氏は忘れてしまうだろう。
このあとは湯川氏が吠える場面もあり、それはそれで将棋ペンクラブらしかった。
私が他人と交流するのはこの会くらいである。またみなと飲みに行けたらうれしい。
開会は13時だが、定刻に行っても人が集まっていないので、遅刻するつもりである。
湯島で途中下車して、小諸そば(2枚もり)をたぐった。
13時26分にいつもの会場に入ると、木村晋介会長らが一斉にこちらを見た。全員で8名で、すでに将棋を指していた。
これだよ……。私がキッチリ行っても将棋が始まるのが後なのに、こういうときに限って、もう将棋を始めているのだ。
「あけましておめでとうございます」
お互い散文的に挨拶したあと、皆は将棋に戻る。私はもう手持ち無沙汰である。
少人数の町道場あるあるなのだが、客が奇数になってしまい、どれか対局が終わるまで、辛抱強く待つ図だ。
やがて一局終わり、私はKan氏と指すことになった。Kan氏にはよくしてもらっているが対局するのは初めてである。居飛車党っぽいが、どんな将棋を指すのだろうと思った。
振駒で私の先手になり、四間飛車に振った。Kan氏は棒銀に出た。しかし左銀も△6四に上がって、やや作戦がチグハグだ。
私は△6五の銀に▲6六歩と銀を殺して十分、と思ったが、図でイヤな手があった。
それが△8七角で、A▲8八飛は△7七歩成▲同桂△7六銀で後手十分。よってB▲7九飛と引くが、△9八角成▲6五歩△8八馬▲7六飛△8九馬は、後手も指せる。
しかし本譜、Kan氏は△7五銀。私は銀を取り切り、以下も難しい戦いだったが、何とか制することができた。
この将棋のどこかで、A氏が来た。A氏は私に、見てもらいたいものがある、と言った。
見ると国鉄時代の国電の写真で、だいぶ年季が入っている。これらがどの路線か、どの駅か推理してくれ、と言うのだ。
A氏が鉄道好きで、それに関する本を何冊か上梓しているのは知っていたら、ここまでとは思わなんだ。
たとえば私も鉄道好きだがそれは後天的なもので、撮る列車も旅先が100%だ。
だがA氏のそれは通勤電車で、純粋に鉄道への思い入れが窺える。これは勝てないと思った。
しかしこの写真がまったく分からない。年配のKan氏は「これは中野サンプラザだ」と即答する。私は都内の建築物にとんと疎いのだ。
2局目はItou氏と。前回は終盤で私に錯覚があり、無念の逆転負けとなった。今回はまともな将棋を指したい。
将棋はItou氏の中飛車を迎え撃つ。終盤まで優位に進めたのだが、Itou氏の攻めに△4四金と打って受け潰したと思ったら、それを切って▲2一銀と打たれてびっくりした。
これを△同玉は▲4一飛成で即詰み。しかし△2二玉と寄ってギリギリ残していたのは僥倖だった。
私は連敗を免れ、とりあえずホッとした。
3局目は星野氏と。星野氏とは時々指すが、振り飛車党のようだ。
これは私が勝ち、3連勝となった。
最後はA氏と。ただA氏は実戦不足のようで、私に駒落ちを所望してくる。それで、以前にも指した二枚落ちとした。
将棋は私が中盤までうまく指したのだが、そこで攻め合いの道に進めてしまったのがマズかった。A氏にうまく寄せきられて、負け。たとえ駒落ちといえども、いや駒落ちだからこそ、勝ちたかった。
ここで将棋は終わり、これから飲み会である。湯川博士幹事、恵子さんも来て、役者がそろった。
場所は前回と同じ居酒屋である。私の向かいは、忘年会のときと同じ湯川氏。緊張するが、楽しみでもある。
まずは生ビールで乾杯。私はふだん酒は飲まないが、ビールの最初の一口は美味いと思う。
美味しいつまみが出て、話も弾む。
「また何か(会報に)書いてよ」と湯川氏。
「はあ、だけどこの前の大山先生の記事も書けなかったし」
「大山? 何それ」
昨年の忘年会で、私は湯川氏から、大山康晴十五世名人の記事を読みたい、と言われていた。
私はそれが心に引っ掛かりつつもついに取り掛かれなかったのだが、湯川氏はそのことを忘れていたのだ。ま、酒の席では仕方あるまい。
「いま王将戦やってるだろ」
と湯川氏が再び口を開く。
「きょうとあすで、王将戦第3局をやってますね」
「あの雑感を書いてよ、大沢さんなりのさあ。2月の上旬まで待つよ。それなら(3月発行の)会報に間に合うから」
ありがたい申し出ともいえるが、私は現在もブログを書いているし、2月には北海道旅行もある。とてもペンクラブの原稿を書く時間などない。
「はあ、そうですね」
私は適当に返事をしたが、これでいいと思った。どうせこの会話も、湯川氏は忘れてしまうだろう。
このあとは湯川氏が吠える場面もあり、それはそれで将棋ペンクラブらしかった。
私が他人と交流するのはこの会くらいである。またみなと飲みに行けたらうれしい。