今、読んでいる本は先日も書いたとおりイギリスの女性旅行家、イザベラ.バードの日本旅行記
毎日10ページずつしか読まないのだが、遅遅としながらも3分の2は終わった
感心するのは、実に緻密で繊細で正確な描写である
日本人の性質、性格、暮らし、風俗、病気
日本の建築、家屋、庭園、町並み、名所、商売、商品、運送、仕組み
農業の作業方法、道具、産物 季節ごとの暮らし
自然は旅行風景、道、河川、花木、動物、災害、集落
とにかくあらゆる事に精通している
日本人の特性は正直で働き者ということ
商人価格は適性でボル、ふっかけると言うことは無く
たとえば荷物運びの女性は職務を全うするために時間外の労働をしても
時間外の料金どころかチップすら受け取らない・・・ことにバードは感心する
田舎では初めて見る外人女に人だかりが出来て、宿でもゆっくり出来ないが
その野次馬は決して乱暴狼藉をせず、うるさくするわけでも無く、ただ見ているだけ
そんな日本人にだんだん慣れていく
日光は東照宮を建築、美術、歴史の面で絶賛している
周辺の杉並木などの自然の美しさにも感嘆している
ところが、日光から会津 会津から越後津川の山間部の人々の暮らしには
強烈な非難を(というより哀れみか?)
不衛生な生活が染みついていて、ほとんどが病気、大部分が皮膚病
それは不潔な生活を改善する知識も気力も無い人々だから・・・と
だが彼らを別の国の未開の不衛生な人々と同じように切り捨てることは出来ない
こうした不衛生な生活をしていながら、日本人独特の性質、善、正直、勤勉、家族愛などを持っているからだと
ただ、田舎の宿の汚さと、蚤や南京虫の大群には辟易している
驚いたのは越後の最初の町津川の繁盛ぶりだ
日本有数の大河、阿賀野川の港である津川は人口5000人
明治初期の事である、新潟市が当時5万人と書いてある
津川は現在は、鹿瀬町、三川村、上川村と合併した阿賀町の中心となっているが
その総人口は5000人ほどでないだろうか
いかに当時が大きな町だったかわかる、新潟市が中心だけでもこの時代の7倍ほどに
なっていることを思えば。
まだ鉄道もバスも無いこの時代の貨物輸送、人送手段は川船だ
利根川の水運は埼玉から栃木県の奥深くまで続き、下流では東京にも行けたようである
同じように水戸からの那珂川も栃木にまで達していたらしい
新潟市から60km、津川もその通りだ
当時、東京中に迷路のように運河が張り巡らされていたように、新潟も運河が運送の主役だったようだ
川岸に立ち並ぶ柳、美しい町並みをバードは絶賛している
商家の賑やかさ、商品の多様さ、豊富な量、美しさに目を輝かせる
日本でも有数の豊かな地方、越後150万人の首都新潟
そういえば新潟県が日本で一番人口が多かった時があったと聞いたことがある
寺町には寺が建ち並び、その反対の通りは花街が並んでいると書いてあるが
寺町とは今の西堀通りなのだろうか? 花街は古町なのだろうか?
ほんのさわりと感想だけ書いているが、実際にこの本を読めばいかに
バードの観察眼が鋭いか、よくわかる、そしてどのように日本人を見ているのかも興味深い
通訳の「できる男・・伊藤」との関係も面白く書かれている
彼女はこのあと東北を旅してアイヌの生活にも触れているし
当時はまだ「朝鮮」と言った今の韓国、北朝鮮も旅している
朝鮮を支配していた王妃「ミン妃」と対面したこともある
ミン妃は後日、政敵の手で殺害された
中国(清国)も当時は欧米が主要な都市を半植民地化していたこともあり
イギリス人も多く住んでいた
そんな関係でそれぞれの国での旅行記も書いているので
当時の日本、朝鮮、清国の人間や暮らしをイザベラバードの旅行記で
見てみるのも面白いと思う。