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「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (174) 甲越10年戦争 血戦川中島 1

2024年08月19日 08時52分37秒 | 甲越軍記
 信州に於いては、甲斐から信州を侵した武田大膳大夫晴信と信州の有力豪族、村上左衛門義清の合戦が止むことなかった。
武田晴信より信州佐久郡岩尾の城を預かる真田弾正忠幸隆は、天文十五年十一月、板垣駿河守、飫富兵部少輔、小山田備中守を岩尾に招き、「晴信公が某を召し出されてより今日までに受けた御恩は泰山の如し、生涯をかけても返すことが出来ぬほどである、某の心の切なることは近隣に城を構えている飫富殿、小山田殿にはわかるでありましょう
某も方々に劣らぬ働きで、お屋形様の御恩に報いたいと思い、ここに一つの謀を考えました、かって信虎公の時、萩原常陸介殿が福島の多勢を少数にて勝利を得たと聞き、某も少数にて敵の多を打ち破る策を考えた次第です
それを皆さまに披露してご意見を聞きたいとお招きした次第であり申す」と三将に囁けば、三将も真田の謀に同調して数刻の密談をしてのち退去した。

真田幸隆は、かっては村上義清の葛尾城に近い真田の庄に城を構えていた信州郷士であれば信濃武士にも知故多く、その中の須野原若狭守、同宗左衛門尉は武勇才智ある兄弟であった、真田幸隆は彼らを招き、味方に引き入れて謀を授けて葛尾城に送り込んだ
彼らが真田に招かれたことは既に葛尾城にも聞こえていたが、両人は村上義清に対面して言うには「某、武田の武威に抗しきれず、真田に招かれて武田方に属するよう言われて、その約束をしました
されども真田弾正忠の態度は傲慢で、某らを塵芥のようにしか見ず、毎度人前に出ては恥辱を被ること耐え切れず無念の思いであります
されどもわれら非力であれば、これに抗うことも叶わず兄弟で密に議して、君の力を借りて恥辱を濯ぎたいと願う次第です
哀れなる兄弟の心底を察し助勢を願えたなら、真田の居城岩屋にお味方を引き入れて真田めを一時に討ち取り、城を奪うのも容易かなと」そう言って熊野牛王に起請文を書いて村上に呈した
義清は合戦の勝ち負け容易につかぬことに焦っていたが、これを聞いて大いに喜び、薬師寺右近進、清野六郎三郎など五百人を選って須野原に渡した。

兄弟の忠節を喜んだ義清は所領の朱印に太刀を添え、更に鞍馬を与えると、兄弟は太刀のみ頂き、朱印と鞍馬は成功の暁に頂戴いたしますと受け取らなかった
精兵五百を引き連れて兄弟は岩尾の城の二の曲輪に引きこもった
須野原兄弟は薬師寺に「ここにてしばしお待ちあれ、某は本丸に行き真田を謀り申す」と出ていき三の曲輪に入った、そして二の曲輪と三の曲輪の門を固く閉じた。
村上勢の兵らはやがて様子がおかしいと思い始めた、その時、三の曲輪より真田の兵が一同に現れ二の丸の頭上から一斉に鉄砲を放った
「謀られた」と気づき曲輪から出ようとするが門は固く閉じて袋の鼠、一人残らず五百の兵は撃ち取られた。

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