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「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (135) 長尾家 48

2024年07月09日 07時41分48秒 | 甲越軍記
 さて、栃尾の戦で大敗を喫して味方の多くが討ち死にした金津伊豆守は僅か三千あまりの敵に翻弄されたことを悔しく思い、再び兵を整えて栃尾に攻め寄せる算段をした。
三条から兵を出してもらい、再び大軍となって栃尾に攻め寄せた
されども日々合戦をしても、長尾景虎は若年ながら天性の英傑であり、都度敗北を喫するのであった。

金津勢に加わった柿崎和泉守は、もとは府内の長尾晴景に属していたが、照田常陸介が味方に引き入れる為、好色家の柿崎に美女を与えて味方の陣営に引き込んだことは以前の章で明らかになっている。
栃尾にかまけているが、いよいよ府内からも大軍が発向して三条征伐に向かう噂が聞こえて来たので、照田親子はこれに備えて前線に砦を築き、ここに籠るは剛勇の柿崎のほかあるまいと、常陸介の弟、照田将監と共に砦に入れた。

新津彦次郎という郷士が居る、かれは柿崎の古き友であった
その彦次郎から柿崎に密使がやってきて言うには
「先日、長尾俊景討死の後、照田親子は味方する諸士に対してまるで郎従の如き態度で接するようになった
元は長尾為景の旗本と言え、柿崎ら豪族は照田の家臣に非ず、諸士みなこれを不満として恨みを抱き、心が離れだしている、このように人の和が無くなればそれは滅亡へつながっていく、それを察した諸士はみな府中の屋形に降っている
これは信義に背くとは言えまい、貴殿は聞いておられるか知らぬが、京より勅使が屋形に参って逆徒討伐の勅状を賜った
黒田一類は朝敵となったのである、古来朝敵が生き延びた例を知らず、貴殿は朝敵黒田一類と共に汚名をきたまま滅して良いと思われるか
旧友の身として見るに忍びず使者を遣わしたのである、もし心変わりいたすならば某が仲介して屋形に宜しく執り成すので任せてもらいたい、これは神に誓って疎意はないから安心して任せるが良い」
柿崎和泉守これを聞いて思うに、金津が一味の上に自分が立つのならば異存ないが、確かに現状は金津らは儂を下に見て命を下している
何よりも知らぬうちに朝敵にされていたのはいかにも不名誉なことであり、恐れ多いことである
また金津の戦ぶりを見ても栃尾の小勢に翻弄されて負けをとる体たらく、士卒の心が一つにならぬのが原因である
そう思うと、心は既に反旗を翻し、策を講じて照田将監の陣へ使いを出した。



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