神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

日本人の高齢化は笑い事じゃないよ

2017年04月09日 15時02分05秒 | ニュースネタ

今日は障害者支援センターの研修会に参加した

知的障碍者、ダウン症など、「障害者総合支援法」の支援レベル3~6の重度障害者の面倒を見る

施設の園長さんが講師となって、こうした施設入所者とその家族の未来を分析した研修会だった

ここに入所する人たちは、その家族だけの力では四六時中面倒見ることができない人が多く

特別な問題が無い限り、そのまま居続けることになるので開設以来20年経つと、入所者の

平均年齢もおよそ20歳上がることになる、定数が決まっているからここを出る人がいない限り、若手の

入所がないからだ、それでもこの間50%は何らかの形でこの施設から出て行った、自宅に戻った人が

4%入所中に(施設外で)亡くなられた人が6%、ほかは別の施設に移った。

一番の問題は入所者の高齢化と、それに伴う家族の高齢化である、入所者の親が保護者であれば

普通に考えれば子供より25ねん~30年早く死ぬ計算だ、また兄妹が保護者だと親ほどの責任感が無い

場合が多く、結局老いた入所者の行く末は「後見人制度」にゆだねるしか無い。

後見人は兄妹や親族とともに弁護士や司法書士が選任されることが多い、ところがこの制度が始まって後見人

による横領事件が後を絶たない、何しろ金主が知的障害なのだから自分のお金という概念が無い、悪意を

もてばいともたやすいことなのだ、それで裁判所でもこうしたことを危惧して管理監督を厳しくする様に

なった

たとえば、毎年本人の預金通帳の写しを提出とか所得証明を提出とかだが、案外これが正統的合法的な

手続きの中での単純な申告であっても、より複雑な手続きになってしまう。

例えば保護者会の年会費を口座振替で処理する場合、後見人を使っていない人はその口座から落ちるだけで

終わるが、後見人がついた場合はその金額を入所者の口座から下ろすために、様々な書類を提出したりして

審査を受けなければならないし、許可待ちの時間も費やす、そうした煩わしさが発生する。

さらに問題は施設の中で入所者がガンを患ったりした場合だ、基本的に一定の期間入院して回復の見込みが

無ければ所の手続きとなる、そうなると65歳以上では介護保険の加入手続きが発生する(入所時は支援法で

保険料免除)

とうぜん障害者自身にはそんな能力は無いから結局誰かがやらなければならない、だが66歳の障害者の親は

多分90歳を超えているだろうから生きていない可能性もあるし、生きていても大半は役所の手続きなどできる

状態では無い,こうした面でも成年後見人の必要性がでてくるのだ。

こうした総合支援法適用の障害者の高齢化に加え、これからは一千数百万人の団塊世代の後期高齢者化も

問題になってくる

年金支給、医療費補助などの膨張が、国債という巨大債務を背負った政府にとって重くのしかかってくる

苦し紛れの増税、苦し紛れの社会保険料値上げも空想では無いだろう、だがこっちからとって、あっちにやるよ

などと言っても、それはプラスマイナスゼロ、ましてや配る金も財源は誰かの私有財産では無く国民全員からの

税金だ

そればかりではない、東アジアの隣国の軍備拡張に対して我が国も備えなければならない、それも重要だ

そこにまた予算を回すために社会保障費を削るという政策もとうぜん考えられるだろう。

だが高齢者が増えていくのに、社会保障費が減ると言うことになれば、40年以上掛け金のつもりで積み立てて

きた老人はいったいどう思うだろうか、老人それはわれわれ世代のことだ。

日本人の30%以上が高齢者になる日も遠くない、借金まみれのこの国は今あがいている、だがまだまだ民間の

余力はある

民間が余力を持っているうちに、国家の健全化を図ることがこれからの政治家に託された最大の要件である。

足りなくなれば国民の財布からでは、何とか地力で生きている国民の余力も奪ってしまう、政治家には政治家の

自己責任がある、国民余力に頼らない政策を実行できる政治家こそが頼りがいがある政治家だ

今から大胆な構想を練らなければ、我が愛する日本国は15年後にはたいへんな事になる

大臣がマスコミ相手に青筋立てている様では国民に笑われるだけだ、もっと余裕と迫力と実績で政治をやって

ほしい・・・・政治家なのだから、

弱肉強食の世界であることを忘れてはならない、強大な肉食獣が日本という獲物が弱まるのを待っている

窮鼠でもネコを咬むのだ、日露戦争の頃の様な命がけの気概と夢を政治家は持たなければダメだ。

 

 

 


生活改善に着手

2017年04月09日 07時43分59秒 | 病気と健康

このごろ緊張感が無くなった

緊張感が無くなると太り出すこともわかった

精神的な喜びと、肉体的な喜びのどちらかを選択するとなると、多くは肉体的なものを優先する

なぜかと言えば、肉体的がまず最初にあり、精神的はその結果として奥にあるからだ

体を楽させたいのは直接的だし、アスリートの苦しいレースあるいは練習のあとで得る、勝利の喜びは間接的

簡単に言えば、怠けることの方が、あえて苦労を背負うよりらくということだ

そして、最近のわたしはいつの間にか、楽をむさぼる様になっていたのだ

腹筋が見えだして締まりだした体も、再びたぷたぷとした皮下脂肪が目立ち初めて来た

「これではいかん」と気づいたのは、何の対策も練らずに際限なく太った3年前と違うところだ

さっそく行動を開始している

まずは7時まで寝ていたのを、最近は毎朝5時から5時半に起きる様になった

6時半には仕事に出かけて、社員の出勤を待つ

夜は暇があれば10時半前には寝る様にしたい、夜型から朝方に切り替えるのが第一段階だ

第二段階は飲み過ぎ飲み歩きの軽減、あえて軽減というのは禁止が無理だからだ

はしご酒もせいぜい2軒でやめておけば23時前には帰宅できる

午前様の自粛だ、先日も10時ころ家に帰ったら酔いも覚めて随分楽だった

こうした生活改善で心も体も健全を保ちたい

「早起きは三文の徳」仕事の益にも作用してくると思う


韓国版「魚市場移転騒動」

2017年04月06日 19時39分21秒 | 韓国.北朝鮮.台湾.中国

築地から豊洲への市場の移動はいっこうにはかどらない

初めの頃の争点はもっと単純だった、それが豊洲で汚染水が見つかったことから

ついには証人喚問にまで発展して、巨額な投資済み、ほおって置いても毎日かかる巨額経費

そこにこんどは築地も汚染なんて報道も出てきて、もつれにもつれて落としどころが無くなってきた

石原慎太郎元都知事も、80過ぎて老いた身をテレビでさらすとは思ってもいなかっただろう

一体全体どうなるのやら、迷惑しているのは築地の魚屋さんたちだ「何とかしろよ! いい加減にしろよ!」

と言う声が聞こえそうだ。

ところで昨日ニュースを見ていたら韓国ソウルの水産市場「ノリャンジンスサンシジャン」でも移転騒ぎが

起こっているんだとか

こちらも昨年、あたらしいノリャンジン水産市場が完成していた

ノリャンジン市場は、これまでの旧市場は一階の鮮魚売り場と、セリ場、そして二階には食堂がずらりと

並んでいた、これが新しい水産市場でも同じパターンでやる予定なのだが、肝心の魚屋さんが移転反対して

未だ移転した店より、移転しない店の方が多い状況なのだという

こちらは汚染問題で無く、家賃で折り合いがつかないらしい

もっとも食堂はほとんど全部がさっさと移転したらしい、ほとんど同じ場所にできた新市場なので移動は

さほどたいへんでも無かった様だ

 

韓国旅行何度目かの時、友達につれて行ってもらってから、ここで昼飯を食べるのがやみつきになった

一階の魚屋で好きな魚を買って、それを二階の(一階にもあるが)食堂に持って行くとご希望の調理方法で

調理して出してくれるのだ、私の一番のお気に入りは、活ヤリイカの刺身、アワビのさしみ、そして辛い

海鮮鍋

とにかく韓国での2日目の昼食はここで食べることに決めていたのだ、ソウル中心部からはタクシーで30分

位だろうか、それでも食べに行きたくなる。

たしかに古い市場は汚いし暗い、まあ外国のことだから移転しようがしまいがどうでも良いし

慰安婦像設置に竹島問題で行く気も失せて3年が経った、新しくなった市場を見たい気もあるし

あの美味いヤリイカを食べたいとも思うが、このぎくしゃくが解けるまでは無理だろう

 


長野市恐竜公園で

2017年04月05日 19時06分59秒 | ドライブ

今日は朝から良い天気で陽気に誘われて長野へ

ゆっくりしたかったので、近場の長野市の恐竜公園で過ごしました

平日ですが地元なのでしょうか、幼児をつれた若いおかあさんや、おとうさんが何組も

来ていました。

私も上の駐車場に車を止めて、下までずっといろんな恐竜を見ながら下っていきました

下れば、今度は登らなければなりません

途中に割と広々とした松林があります、木が10数本しか生えてないので明るく

空が見える空間です

ウッドのイス.テーブルがいくつかあって、そこに腰を下ろして目を閉じていたら

風が今日はとても心地良い

暑くも無く、寒くも無く、強くも無く、弱くも無く、まことに気持ちの良い風なのです

ハンモックでもあって、そこに横になっていたら多分ぐっすりと寝込んでしまうのではないだろうか

小鳥の声が聞こえてきました「チチチ」とか鋭いさえずりだけど、優しげな声です

見上げると、まだたいした葉がついていない枝に小さな鳥が数羽、跳んだりはねたり

生まれたばかりの小鳥でしょうか

そのうちに「ペィチン ペィチン」と中国人みたいな鳥の声が

すると遠くでも同じさえずりが聞こえてきました

鳥のさえずりと、柔らかな風ですっかり心がほぐれてきました

  


どうなるんだろう? わからんことばっか

2017年04月04日 18時51分05秒 | ニュースネタ

「だいじょ~ぶ」なんかね? だんだん心配になってきた

桁の大きな不祥事が、当たり前になってきた みんな慣れっこになって誰も抵抗しない

へんだね 変なことを変だと感じなくなっている

みんな外野 みんな蚊帳の外 誰も感じてない

感じてないのに、感じた人が騒ぎ出すと批判の嵐

わけがわからん

 

ちゅうごくはどんどんお金持ちになっていくし、日本人は貧しい生活に慣れてくるし

なにがなんだかわからん どうしていいのかわからん どうなるかもわからん

ちょうせん半島も騒がしい どうなるんだろう いつもと同じか

この前までの大統領が刑務所で番号で呼ばれてるって、一食二百円足らずの食事だって

ネットには何でも書いてある

日本の首相でそんな目に遭った人っているんだろうか・・・・いたような?

 

韓国は今度は猛烈なにっぽんきらい大統領なるか そしたらどうなるんだろう

大使また韓国へ行った  お出迎えの慰安婦像みて何思うだろうか

ロシアはロシアで自爆テロ騒動 フランスも イギリスも安全な国がない

日本だって痛まし事件ばかり 人間の頭狂いだした 日本人の頭狂いだした

ゆとり教育と 自立という放任教育が今、花開いて 人殺しばかり

犯人捕まえてみれば「良い子」「大人しい子」「真面目な子」ばっか 「まさかあの子が・・・・」

「きみの命は地球より重い」とおだてられて、自分以外は「ごみ」だと思っているんだろうか

みんな一番なのに 一番ばっかだから結局みんなビリ!

学校に行かないのも、仕事に就かないのも、家で親に暴行するのも、みんな根は同じ

大人は気づいているのに 時代が変わって何も言えない

 

格差はどんどん開いていく、職に就いてない若者200万人だっけ? 北朝鮮の軍隊くらいの人数?

格差はまだまだついていく、間違いなくついていく

 

どんな未来が、近い未来が、どんなんなってるんかなあ

豊かな未来・・・・・

俺に任せておけって言うけど

どうなるんだろうか

 

 

 


おんな城主直虎 面白くなってきたぞ

2017年04月03日 18時24分01秒 | 映画/ドラマ/アニメ

ほとんど歴史上には現れていない謎の「おんな城主直虎」

実は男だったとか、ドラマが始まってから、いろんな説がでてきた

私も歴史好きで、徳川四天王の一人、井伊直政のエピソードなどは多少は知っていたが

それと、直政を育てたのが女城主だったという説があることも知っていたが

弱小領主である井伊谷の井伊家の歴史や家臣団などまったく知らなかった

これほどマイナーな戦国武将の大河ドラマは初めてなので、みんな「???」なんだろう

私もどんな風にドラマを作っていくんだろうと心配していたが

韓国ドラマみたいに、面白いけどだらだら、堂々巡りみたいな戦国ドラマはご勘弁なのだけど

昨日の「直虎」で、私の好きな展開になってきた、それはちょっと商人ぽい展開になったからだ

豪商、瀬戸方久の登場で一気に面白い展開になってきた

完全なフィクションになってきたわけだが、歴史を歴史どおりに進めてはこのドラマ、身もふたもない

脚本家の手腕が問われるタイプのドラマなのだから、史実のポイント以外はフィクションでも良いのだ

方久と少女時代の直虎との出会いが伏線になっていて、それが今、登場するところは計算されていて

「うまい!」座布団5枚くらい

あとは作り話のオンパレードで、商人へのエールみたいな話になっている、それは

直虎の少女時代「おとわ」が乞食同然の方久にいくらかの金銭を与える、それを元手に魚が捕れすぎて

廃棄処分かというような漁師のところで、魚を安く買って干物を造り、売りに行ったら飛ぶ様に売れた。

そのお金で、あばら屋を買って、安くお茶を飲ませる茶店を始めたら、諸国の人々が集まる様になり

あちこちの情報がどんどん耳に入ってくる、その中から「どこで、いつ頃戦が始まる」という情報を拾い集め

いち早く、その戦場へ行って、食料や薬を大量に売り、戦争が終われば戦死者の鎧甲、刀剣を拾い集め

それを売って、莫大な財をなして金貸しも始めた、というわけだ。

商人は知恵を働かせて、先見の明をもって、素早く行動すれば成功するという商いの教訓

こういうドラマや小説が大好きなんだ、「どてらい奴」あるいは秀吉の出世物語もこんな感じだ

そして窮した直虎が、窮地を脱するために方久と手を組む、こんな奇想天外な話しは面白い

これからしばらくは戦国ドラマでありながら、戦話では無く、商人的な人情ドラマの展開になりそうだ

このドラマで初めて次回が待ち遠しくなった。

 

 


北関東一人旅

2017年04月03日 08時37分53秒 | 心 思い

今、憧れは「北関東一人旅」、古河館林あたりで一泊、霞ヶ浦周辺から北上して水戸へ出て

そこから那珂川を北上、袋田の滝や、フクロウの神社を訪ねて

馬頭温泉あたりで2泊、黒羽辺りをゆっくり散策して、それから雲巌寺に寄って

奥日光辺りで1泊、そして白河を通って会津に出て帰宅って寸法だ。

総距離800kmくらいだから楽な旅だ、あちらこちらの道の駅を巡って

夜は宿でそれぞれの地酒を飲んで、地の素朴な味を楽しんで、酔っ払って寝る

いいなあ、時間に追われない一日って

今年の夏までに是非やっておきたいね、秋は秋でまたどこかへ3泊くらいの一人旅

60歳過ぎの一人旅が流行っているんだって、そうなのか、そんな気分になるもの

いいなあ、ぜひ実現したいなあ、一人旅か! 仕事出張以外で一人の旅は、したことが無かったものなあ

温泉に入ってから、一人で大の字になって手足を伸ばすのもいいね

なんだかワクワクしてきたね、思いがけない出会いなんかも待っているかも

今年は絶対実現したいな。

宿も下調べしたから、もう行く気十分だね

 


あの頃の仲間、それから~

2017年04月01日 17時42分32秒 | 知人・友人

未来は見えない、予測するだけ、だけど現在から過去を見ることはできる

思いもしなかった未来にたどり着くことは、往々にしてある

予定どおりの未来にたどり着くことは滅多に無い

職業的に思いどおりの道に行くことは、信念があればできる

しかし結婚、伴侶、子供、家庭、健康、収入などは思いどおりには行かない

そんな事を前提に、中学3年生の仲良しグループで進学してから学校がバラバラになっても

2年間、毎月集まって遊んだ「会」のメンバーの50年間を振り返ってみよう

 

中三の時の担任が凄く熱血漢で、その先生をオブザーバーに夏休みにキャンプや登山をしたり

海へ行って泳いだり、貝を捕ってきて煮て食べたりいろいろ遊んだんだ

熱血先生と言っても体育系では無く、自然体験派で蝶の研究では県下でも名が売れている先生だった

勿論、星好きの私と星を語ったりもしてくれた、今も健在でもう90歳近いだろうが80過ぎても同級会に

参加してくれていた。

この会のリーダーKは学級委員長だった、少しもかっこの良いところがない小太りの男で、取り柄は陽気なこと

東京六大学に入って経営を学んだ、当時彼は中学時代からの福島のペンフレンドとずっと続いていて

とうとうお互いに恋愛感情にまで発展したのだった、それをまめに手紙にしては私に毎月二通くらいずつ送って

よこした。

結局それは実らず、卒業と共に田舎に帰ってきて役人になった。

そして結婚して登校拒否の子をもって悩み、それでも家庭環境には恵まれていた、役所でもトップにまで

上り詰めて、ほとんど予定どおりの人生をおくったのだろう、しかし在職中に突然倒れて帰らぬ人となった

50代だった。

 

女子のリーダーは冷静沈着な文学少女Tさんだった、理性的で落ち着きがあってくそまじめ

作文コンクールでは全国3位になったこともある才女、高校時代共産党の野坂参三のファンになって民青に入る

純朴な私はそんな彼女が怖くて近寄りがたかった

そんな彼女は高校卒業と共に新潟市の専門学校に入学した、私も新潟市へ行ったし、もう一人の会の仲間

Mくんも新潟大学に入学して新潟市にいたから、奇しくも会のメンバー3人がここにいたのだ

彼女の学校仲間の女性と彼女、そしてMくんと私の4人で遊びに行ったけど、この頃は寂しさもあって私は何度か

Tさんに電話して誘い続けた、寮生活なのでなかなか出ることもできなかったけど、とうとう彼女を引っ張り出すことに

成功した、そして古町でデートをして、川岸町の寮まで歩いて送っていくとき、白山神社の辺りから小雨になって

彼女が持ってきた傘で相合傘になった、別に好きとかそういうのでなかったからちょっとこそばゆいというか

居心地がわるいというか・・・・・・純情な19歳だった

そんなとき、あの文学少女がぽつりと、「よそから見たら、恋人同士に見えるかもね」、あの言葉は一生の宝物に

それっきり彼女とは会っていない、もう47年間も

彼女は地元に帰って結婚、だけど夫の失態で離婚して行方不明になった、中国へ行ったとかいろんな

噂がでた、それっきり・・・・・ところがふとしたことで彼女の居場所を知ったのは5年前だ

青森県の奥深い町に彼女は新たな世帯を営んでいた、すぐに手紙を書いた、返事が来た

彼女は私を覚えていた、でも手紙の最後に「そっとしておいてください」と書いてあった

あの町はいったことはないけれど、寒風氷雪吹きすさぶ土地は彼女にはお似合いじゃないかと思った

 

一方、Mくんは新潟大学工学部に入っていた、青びょうたんになって毎日20時間勉強した成果だった

新潟では学校町のうらぶれた学生宿で、何名かの新大生と共に下宿していた(個室)

一緒にいた学生の一部は、ちゃんちゃんこを着てこたつに入って、安保反対のアジビラをガリ版で

刷っていた、だがMくんは少しも学生運動に興味が無く仲間には入らなかった

2年生からは長岡キャンパスに移った

長岡にもよく遊びに行った、一緒にビリヤードをするのが楽しみだった

卒業後は上場企業の千葉工場に入社、数年間は年賀状をやりとりしていたがそれから

返事が来なくなって、それも35年が過ぎた

ところが5年前に同級会をやった時、彼が突然参加して私の目の前に現れたのだ

感激した!、あいつも同じ気持ちだった、あの20歳の時と同じだった、肩を組んで写真を撮り

ハグをして旧交を温めた。

意外なことに彼は死んだKも新潟で一緒に遊んだTさんのことも覚えていないという

秀才は勉強に全てを費やして、友情にまでは気が回らないのだろうか?不思議な気がした

彼とはたまにパソコンでやりとりをしているが、クールな彼からは先に来ることが無い

彼の人生は予定どおりの豊かな人生だったかもな、あの顔を見たらそう思った

 

会のメンバーで、美容師になった小悪魔的存在MM子も去年亡くなったって、横浜に住む同級生でMM子の友達

Y子から聞いた、Y子は何回か同級会に参加しているが、MM子は45年前の同級会を最後に会っていなかった

Y子は中学時代は陸上選手で私のマドンナだった、そのY子とは過去に一度も話した事も無いのに、同級会の時

私のところにやってきて「よっちんくん? MM子知ってるよね」と唐突に言った うなずいたら

「MM子ねえ、時々よっちんくんの事話すんだ・・・高校時代に一緒に遊んでいたんだってね、懐かしがってたよ」

思いがけない言葉だった、私はいつもグループの中で疎外感を感じていたから、誰からも注目なんてされていないと

思っていた、劣等感の塊だったんだ。

MM子は、由美かおるに似たキュートな娘で当時流行した「ゴーゴー」や「モンキーダンス」を踊らせると

独壇場だった、はつらつとした活発な子で、いつも顔を見ると「よっちん!」と屈託の無い声で話しかけてきた

結婚後、自分は横浜に住んでいて(自宅)、夫は北海道で仕事をしているという変則的な夫婦だった

そういう関係が幸せなのかどうなのかは本人しかわからない、わからないまま彼女は逝った

 

人生は歳をとるに従って寂しいことの方が多くなっていく

未来は見えない、だから生きていられるのだ

 

 

 

 


コーラ

2017年04月01日 08時44分03秒 | 時代検証

コーラというと夏のイメージ、そして夏と自分とコーラの思い出

20代は魚ばかりで無くて、肉、野菜、食品、雑貨いろいろ売ってる小売店を経営していた

コンビニ風の超ミニスーパーだった、それでも一つ年下の美人看板娘がレジ係をしていたし

なかなか華やかだった

彼女は今は民宿の女将さんになっているが、もう65歳か・・・・

さてコーラに戻るが、この店でも当時流行はじめのコーラも販売していた

日本ではコカコーラが圧倒的なシェアを誇るが、アメリカではペプシもそうとうなシェアを持っている

我が店は、そのペプシコーラを販売していた、ファンタに相当するミリンダという果汁炭酸飲料も売っていた

コカコーラがシュワー、スカっ!、ピリッって感じなのに比べ、ペプシはシュワあま」って感じでソフト

当時はみんな瓶入りで500mlと350ml位のと2種類

夏になると水の中に入れて、ラムネみたいに店頭で売ったこともある

 

20歳頃は、夏ともなると500ml瓶を息継ぎせずに一気飲みできたのだ、飲んだ後のゲップが気持ちよかった

今では350ml缶でさえ、一気には飲めなくなった

この頃、山形の湯野浜温泉で板前をやっていたという23歳の、ちょっと雰囲気のある人が板前修行中で

働いていた店に武者修行として入店した、後から来たとはいえ先輩には違いない

真っ赤なサニーを持っていて「休みに貸してください」なんて言っても絶対貸してくれなかった

この人が「コーラ中毒」だという噂が立った

当時、コーラには麻薬的な成分が入っているとか、何が入っているかわからないとか、飲み続けると

子供ができなくなるなどメーカーにとっては非情に迷惑な噂がささやかれていた

それで、そのサニー先輩もコーラ中毒で、実は**が無いので結婚できないとか、訳のわからない話が

オレたち見習い坊主の間で噂になったのだった、しかし誰も真実は知らない

ところが、この店の人使いの荒さは半端でなく、オレたちは修行.見習いという名目があればこそ気にもしなかったが

サラリーマン精神ではとてもつとまらない

サニー先輩はどうもサラリーマン的要素の方が強かった様で、なんと夜逃げしたのだった

なにも夜逃げすることは無いと思ったが、朝までいたのに昼になっても出勤しないから見てこいと親方に言われて

アパートへ行ったらもぬけの殻、荷物もサニーもきれいに無くなっていた

ふと部屋の隅を見たらなんと500mlのコーラの空瓶が数十本あるではないか

やっぱり噂は本当だったのだ、もう一人一緒に来た後輩に「この瓶を商店に持って行こう」と内緒で車に

積み込み、換金した、当時一本10円で引き取ってくれた

500円ほどになってタバコを買って17歳の後輩に2箱やって、残りの2~3箱を私がとった

当時はセブンスターで100円だった

コーラを見ると、その時のことがくっきりと浮かんでくるのだ。