神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

インフルエンザ再流行

2017年04月22日 12時00分00秒 | 病気と健康

祭りだ、選挙だと慌ただしい4月だったが

その祭りの神事のイベントの参加者が60人もインフルエンザにかかったという

実際は100人を越しているんじゃないかという

小学校でも流行したらしい

わが店の女子社員も高熱が出て救急病院へ行って調べたら、こちらは幸いインフルでは

なかった

 

私は人生の中で一度だけインフルエンザにかかったことがある

熱が出たので医者に行って調べてもらったら

「見事にインフルエンザ感染だよ」と私より10才ほど若い先生が嬉しそうに言った

Aモスクワ型って言ったかな、ロシアっぽい名前だった、たしか・・

 

そんなわけで自宅の二階で一週間一歩も部屋から出ないで寝ていた

ご飯は階段の踊り場に置いてもらい、だから家族の顔も一週間見なかった

当時、インフルエンザの特効薬としてタミフルがデビューした

だが何らかで、あまり評判が良くなくて、それは使用したくないなあと思っていた

(どんな形で、どんな服用方法なのかは知らない)

そうしたら先生がくれたのは、タミフルよりも新しい「リレンザ」をよこした

これは画期的で面白い薬だった、まるで西部劇の回転式弾倉のピストルみたいで

5ヶか6ヶ穴が開いていて、そこにリレンザのカプセルを入れる

引き金みたいなのをひくと、一つが破れてパイプの様な吸い口を吸うと

リレンザの粉が喉に入るという仕組みで、これは面白かった、少しも苦痛でないし

このおかげか3日目には熱もひいて、だが一週間は伝染させる恐れがあるので

家で安静と言われて、初めて1週間の休暇を得た様なものだった

テレビを見ては寝、起きては食べての生活を満喫した

人間はいくらでも眠れるんだなあって、その時知った

1週間目の朝、驚くべき光景を見た

トイレに行こうとして二階の戸を開けたら、そこの踊り場に飼い犬の「ジョン」が寝ていた

彼が二階に上がってきたのは飼い始めて数年間で初めての事だった

二階に上れるなんて思ってもみなかったしそぶりも見せなかったのだ

きっと一週間顔が見えないので心配になって上がってきたのだろう

忠犬ハチ公ではないが、犬には情があるようだ、ちょっと感動した!

 


自由・平和・平等

2017年04月20日 08時58分18秒 | ニュースネタ

平和とは「危険が一つも無く穏やかに暮らせる状態」

自由とは「誰からの指図も束縛も受けずに勝手気ままに暮らせる状態」

平等とは「全ての人間の地位と自由度と労働量と収入と生活レベルが同じ状態」

大昔から人間たちの目指してきた理想

現実は、平和を得るために、平和を脅かす敵を殲滅しようとする

すなわち戦争と破壊、闘争本能は人間の本性

戦争と破壊は経済の再生を産み出す母

フリーズした世界経済を再生させるために闘争本能を刺激するのが政治手腕

新しい世界を生むための犠牲、自由を奪われた犠牲者たち

だが残された者の平和と自由を得るためのやむを得ぬ生け贄

そんな風に簡単な言葉で終わらせて良いのか

 

自由と平等は相反するもの、二つを同時に得ることは不可能

個人の欲望に差がある以上平等はあり得ない、厳格な管理下でしか平等は

守れない、それでも管理者と管理される者がうまれて平等と言えない。

正直者と嘘つきが半々の人間界、しょせん夢と理想を言い並べているだけ

 

 


今期初ゴルフ

2017年04月18日 17時11分39秒 | スポーツ全般

メンバー11人で毎年1~2回コンペを開催している

3組に分かれて、私の組は75才の運輸会社会長、66才の工務店社長、

それと別の工務店の奥さん

この75才が凄いタフな人でスタートから連続パー、第一打も老人用の

特設では無く、われわれと同じところから打つ、しかも飛ばす

「会長、今年は何回目ですか?」と聞いたら「今日が20回目だ」だって

今週もこのあと2回予定が入っているそうで、年間3~4回の私とでは

比べものにならない

「オレは無趣味な男でなあ、ゴルフでもしてないとやることがない」と言っている

結局前半は45でまわった

さて私はと言えば、今季初打ち、もう10年前から練習にも行かず、いきなりの

ぶっつけ本番、1番ホールドライバー第一打はコースなりながら、わずかに林に入った

しかし開けた場所だったから難なく二打目でコースに戻した

でも3打目、4打目とへまをして5オン2パッとのトリプルボギーでスタート

結局6ホールまでは7・8・6・7・7・7で7ペース「このままだと前半63か、なんとか

50台で終わりたいなあ」と言ったが、今日は平均3パット、パットが悪すぎる

7番のロングは良く飛んで会長もびっくり!

ところが2打目を右の松林の中、奥深くに入れてしまった

コースまで10m以上、一番広そうなところでも木の幹が10本くらい並んでいて

狭いところは2m位しか開いていない、絶対どれかに当たると思いながら7番を

短めに持って打つと奇跡のように隙間と隙間の間をきれいに抜けて、フエアウェイど真ん中に

気をよくして残り110ヤードを打ったらピンそば1mにドカン!ワンパットで初パー

8番ミドルは3オン2パットでボギー

9番池越えショート、ここは最近池ぽちゃばかりしている鬼門

池越えをイメージしたのに、ボールは右45度の方向に、50ヤード付近で土手に当たって

左にはねた、左は谷でOBだ!ピンチ!、ダボかトリプルは免れない

すると左のイノシシよけの低いフェンスに当たって再び右に跳ねた、「ラッキー」と思ったが

まだ池越えまでは100ヤード残る

次の2打目で池に入れてしまえば完全にトラブル、いっそ1打目で池に入ればグリーンまわりから

プレィング3でできるのに・・・・・

ボールを探しに行ったら「ない!」見当たらない

「池に入ったんじゃないの?」確かに急な坂になっているから跳ねた角度では池と言うこともある

確かめに池を除いたら、なんと落ちていた「ラッキー」プレィングで再スタート、ボギーで終わった

結局63か?と言っていたのが最後の3ホールの粘りで56でなんとか終わった

後半はドライバーが当たる様になり、ドラコンもいただいて53で上がった

100切りの希望が又わいてきた、今年もゴルフはやめられそうもないな

終了後わが店で打ち上げをやって、手元に持っていた糸魚川大火で焼けてしまった酒蔵の

最後の1本「加賀の井」をみんなに飲んでもらった、2次会3次会とまわり、

最後は一人で馴染みの店へ行き、一人でいた若い先客とアバ、プラターズ、ビートルズ,

マドンナなどを歌いまくって、それでも11時前には帰宅した。

 

 新緑と桜のコース

 


高齢者と花見

2017年04月16日 18時55分25秒 | 季節と自然/花

父も最近は家から出ることが少なくなり、季節感にも疎くなってきた

今日は天気が良かったので「桜を見に行こう」と誘ったが

「いかんでもいい」という返事、そして「写真を撮ってきてくれ」と言った

歳もとりすぎると、「来年の桜は見られるだろうか」とか「あと何回桜の季節を迎えられるか」

などと考える様になる

桜とはまた、そういったはかなげで寂しげな花でもある

「生きているうちに何回チューリップをみられるだろうか?」などと思う人は

少ないだろう

そんなわけで、桜の咲いていそうな場所を2カ所行ってみた

もう夕方の5時半頃だったので、写真も暗めになってしまった

それに満開を過ぎ、隙間の空いた枝が多く、どうかな?

と思ったが、あるところにはあるもので、まだ見頃な桜も結構あった

明日からは雨模様で、もう今日が見納めかもしれない

中学生が3人で桜を撮りに来ていたのには、少し感動した

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


高田城趾公園の桜は・・・残念ながら

2017年04月16日 09時02分50秒 | ライフスタイル

昨日は午後からとても良い天気になりました

新潟県上越市へでかけました

ここは日本三大夜桜の一つ「高田城公園の夜桜」で有名なところです

あいにく昼でありますが、桜は満開、土曜日快晴とあって、おそらくこの日が最高の

人出になったでしょう。

高田公園も高田城趾のお堀端に3重櫓が建てられてから、とても雰囲気が出てきました

堀端の高い石垣の上にあるので、見ようによっては天守閣にも見えます

夜桜でライトアップしているところに満月でも出れば最高でしょうね

徳川が実権を握った頃、家康の六男「松平忠輝」が越後及び信州川中島で75万石の

大きな領地を与えられて、この高田城にやってきました。

嫁はあの「伊達政宗」の娘。  忠輝は家康の男兄弟の中にあっても特に気性が激しかった

らしく、いろいろなエピソードがありますが、野心家の伊達政宗を舅にもったことで

兄の二代将軍秀忠に警戒されたのでは無いでしょうか。

結局、領地も家臣もすべて取り上げられて、草深い田舎で92歳まで過ごしたそうです。

さて私たちが見たのは昼の桜で、しかも公園の入り口でバスの中から見ただけですが

満開の桜の一部だけ見ることができました。

実は、この日はイベントがあってここの老舗料亭で一杯お呼ばれしていたのです

高田芸者の舞、今風のオリジナル箏曲などを聞かせてもらい、美味しい料理と直江津の

美酒もいただきました

スマイル体操というのも体験しました

夕方戻っても、いつものように二次会に行く元気が無く家に帰って布団もひかず寝てしまいました

夜中に目が覚めて、30分ほど水泳を見てまた寝て、起きたら7時半

実に12時間くらい寝ました、元気良い気でいても芯は疲れているのかも。

まあ良い休暇にはなりました。

 

 

 


チューリップが咲いた 鯛の季節になった

2017年04月15日 09時09分34秒 | 季節と自然/花

春らしい暖かな南風がそよ吹く様になって、気温も20度近くまで上がっています

そんな中、今朝の魚市場で「どうかな?」と僅かな土のある場所を見たら

チューリップがこみずやかに咲いていました

例年より地味に咲いていました、花はもう開きすぎ、今まで気づきませんでした

いつもは3色のクロッカスが咲いた後に、3色のチューリップが咲いたけど

クロッカスは今年は小さなママ萎れて全滅でした

それでもチューリップは咲いて、少しほっとしています

セリ場へ言ったら地物の大きな鯛が目をひきました、見慣れている魚屋たちも

「お~おっきい!」と驚いていました

獲ってきた漁師のとおちゃんが秤を持ってきて計ったら7.5kgでした

80過ぎた仲買の親父さんが「これもでかいが、オレは10.7kgと言うのを見たのが

最高だったな」と言いました。

10.7kgの鯛か、「一体何年くらい生きればこんな鯛になるんだろうか?」と言ったら、

口の悪い魚屋が「80年だな、この親父と一緒だ、すじっぽくて食べてもうまくない」

それにしてもナマ暖かな今日は、花粉がずいぶんと飛んでますね、喉も目もイガイガですよ


新潟「のっぺ」の味

2017年04月12日 16時47分30秒 | 料理を作る・食べる

4ヶ月ぶりに新潟市を訪れた

料理屋に居酒屋、新潟近郊の親父たちと情報交換がてら旧交を温めた

もちろん昨年12月に急逝した「ねえちゃん」の仏前にお参りもしてきた

そして遺影に献盃

酒はあんまりたしなまない人だったのに、最後に会った時なぜか

私が日本酒を飲んでいたら「私にもちょうだい」と催促されたのだった

「最近は日本酒を練習してるんよ」ってほんのり頬を染めて言っていたのだった

 

私の後輩が経営している新潟駅前の居酒屋で2次会をした

新潟名物の「のっぺ」がお通しで出てきた

私の町でも「のっぺ」だと言ってでてくるときがあるが、新潟の「のっぺ」とは

似ても似つかない

正月になると、ねえちゃんが「のっぺ」を作ってくれた、里芋に鮭、ようのこ

人参、椎茸、ぎんなん、さや、コンニャク、その他 何よりも出汁が肝心だ

思い出しながら作ってみるが、ねえちゃんの味にはならない

この居酒屋の「のっぺ」でもまだ物足りなかった

もう一度食べてみたいけれど、それは無い物ねだりというものだ

 

 


アメリカ暮らしの「ゆう」

2017年04月11日 11時25分59秒 | 知人・友人

昨日は、地元の祭りで焼きそば焼きをしていた

とにかくあせくらしく忙しいので、良い加減の頃合いに一服

他のテキ屋さんの店の様子を身がてら境内をプラプラしていたら

マスクで顔半分を覆った小柄な女性から声をかけられた

「私だよ、ヒロだよ」「誰? マスクで顔が見えないよ」

「だからヒロだっていってるじゃん」「ああそうか・・・ほんと顔見えないから」

「だからヒロ~」「うん、わかったわかった、久しぶりだね元気?」

ヒロコさんは私より2つくらい姉さんなのかな、若い頃はそれこそねえさんでならした女だったらしい

未婚の母で今日までやってきた

ヒロさん、マイペースで軽い

昔、彼女のおかげでとんだとばっちりを受けたことがある

20年前、1年だけ我が店にいたことがあるけれど、その時の話し

酔った客が自販機の前でぶつぶつ言ってた、それは建設会社の部長だった

若い社員を相手に文句を言っている、酒癖が悪そうだ

自販機にお金を入れたのにタバコが出てこないというのだ

ところが実は酔っていて、自販機の小銭入れに入らずに外に転がり落ちたのに

本人は、自販機が壊れていると言い張って困らせていたのだ

私も聞きつけて、とりあえず自分のお金を入れてタバコを渡せば良いと思っていたら

通りかかったヒロコさんも話しを聞きつけて、突然部長に向かって

「男のくせにぐずぐず言ってんじゃ無いの!100円くらいあげようか?!!」と

けんか口調で言った

部長が頭にきたのは当然だ

「なんだここの社員は、責任者を呼べ!」それで私が平謝りに謝った次第だが

ヒロさん本人は知らん顔をして現場から去って行った

まあ、そんな女なのだ

「ゆうはあいかわらず?」「ああ~あの子はあいかわらずだね」

「アメリカに居る?」「うん、ずっとアメリカ、元気でいるらしいよ」

ゆうは、ヒロさんの一人娘で写真家になりたいと言ってアメリカに渡ったきり

もう10年くらいになるだろうか、母親に似てぶっきらぼうな娘だ

「相変わらず結婚もしないで・・・」「うん!結婚もしないですきにやってるみたいだよ」

「もう30後半くらいかね?」「42になったよ」

「っへ!42か」「42」

若いとき地元の旧家の御曹司の嫁に、もう少しでなりそうだったのだけど

相手の親戚の横やりで話しは消えてしまい、その男は東京の良いところの美人の

女性と結婚してしまった。

それからゆうは、行動的な女になった、もともとじゃじゃ馬で勝ち気で妥協しない女

だったから世の中怖い物なし、何度かアメリカに行っては戻っていたけど

とうとう住み着いたらしい、アメリカの方がゆうにはあってるみたいだ

若いとき私とも飲みに言ったこともあるけど、まったく私のことも周囲の人間も

いないと同じで、一人で勝手に喋って、勝手に飲んで、勝手に歌っていた

そんな気ままで不思議な女だった、こんなタイプは後にも先にも見たことが無い

丸顔で目がくりくりしていて、なかなか可愛い顔なのだが、このマイペースは・・・

自分の生い立ちをを知っているのか居ないのか、私は知っていても聞くわけにもいかず

だけどゆうは全くそんなことは考えても居ない様だ、いや考える事をふっきたのかも

自由奔放みたいだけど目の奥には一抹の寂しさがある、ずっと遠くを見ている様な

まあ元気でやっていればいいけど、ゆうの人生だけは想像もつかない

生きてるうちに一度はあってみたいけど、あいかわらずだろうな

自分の話は一切しない、目の前の事だけしか語らないゆう、評論もせず

いつも感情的に攻撃的に話す、ゆう

でももう一度会いたいな

 

 


韓国ハプニング旅行(リメイク版)

2017年04月10日 16時31分37秒 | 韓国.北朝鮮.台湾.中国

もう何年前になるのかなあ、「板門店へ行って北朝鮮の地を踏もう」と言うことで

県議秘書A氏、ディラー所長B氏と3人でアシアナに乗って出かけた

フリーの旅行業者の仲介で出かけたのだが説明不足

「仁川空港に降りてロビーに出れば現地の**旅行社が迎えに出ていますから」と旅行社

何回か行っているので、その風景は目に焼き付いている、気軽に「OK!OK!」と言ってしまった

さてロビーに出ると、歓迎出迎えの韓国の旅行社が10社ほど旗を振り、ボードを持って

予約客を待っている、さてわれわれの赤字旅行社はどこかいな?

端から端まで見てもいない、少し待ってみるか・・・・5分経っても来ない

ちょっと不安になった頃、大柄な中年男がすっと入ってきて「おまたせしました」流ちょうな?日本語で

「3名様ですね」「はい」 「じゃあこちらです、荷物持ちますよ」「・・・・・」

私のキャリートランクを有無を言わせず取り上げて、さっさと歩き出した「!」

早足だ、急いで三人で追いかける、(こいつ泥棒じゃ無いの?)

どんどん歩いて、階段を降りて、そこは地下の駐車場だった、10人乗りくらいのワンボックスの後ろを

あけて「さあ、荷物どうぞ」と残る2人のバッグも入れて、座席に案内して「もう一人来ますから待ってください」

すぐに一人の韓国人がやってきた、中肉の若い男だった、そして5人で出発

大男が運転手で若いのが助手席に乗る、行き先も聞かずに走り出す

それから陽気にしゃべり出した大男、若い方は無口だ

運転手が、いきなりポン引きに変身? 韓国では男同士ツアーとみればすぐこれだ

日本人もバブル以来なめられたものだ、50歳から70歳のロートル相手になんだよ!

3人で無視を続けていたらだんだん様子がおかしくなってきて、こっちも先ほどから(なにか違う)と思って

ツアーのバッジを見せて「赤字旅行」と言ったら、連中の顔色が変わった、すぐに二人は相談して

車は突然Uターンした

再び飛行場の地下に到着、若い男が降りてロビーの方に走っていった・・・・

「おいおい、おれたちはどうなるんだい」、奴らが目当ての客を間違えたことだけはわかった

ところが運転手の大男はいとも簡単に「送りますよ」と言って再び走り出し、ソウルへの高速に乗った

「ホテルはどこですか?」「ノボテルアンバサダー」

「ああノボテルね、とても良いホテルね」相変わらず愛想が良いが、終点の料金ゲートへ来たら

「高速代1万円ください」「?」と思ったがB氏が財布からだして渡した

支払いを済ませて「おつりチップください」とシャーシャーという

B氏も旅行で気が大きくなっているのか「OK!」あっさりと承諾

それからまた市街地をどんどん進んで行くがなかなか到着しない、飛行場に着いてからもうかれこれ

2時間近い、季節は4月初旬、時差1時間(時計の時差はゼロ)とはいえ曇りでもあるし少し薄闇が

ソウルの都心とは思えない静寂な場所で「着きました、あのホテル、ノボテル良いホテルね」

オレたちを置いて車は帰って行った

フロントでチェックインをすると「お客様のご予約はありませんが」と日本語で女性のフロント係

「えっ!?」「・・・・・・」

「ノボテルアンバサダーです.ね?」「はい」

「......」

「どこのアンバサダーホテルをご予約なされましたか?」「・・・? カンナムですが?」

「そうですか! ここはトクサン.アンバサダーです、カンナムは別のところにあります」

「・・・・・・・やられた!!!!!」

ちょっと軽いパニックに、しかしさすがホテルマンだ 「タクシーをご用意しましょうか?」

ということでタクシーに乗ってカンナムまで、途中からはソウル名物の大渋滞でタクシーは動かず

ホテルに着くともう夜の8時を過ぎていた、飛行場から実に4時間以上経過、我が故郷から仁川空港

までよりも長い時間が過ぎていた。

おまけにフロントに来ると、さっきの運転手コンビと同じパターンで中年大男と若い男が待っていた

われわれの正体がわかった途端大男が

「どこ行ってた!待ってたのに来ない!」と大声で怒鳴るでは無いか

(なんだこりゃ?)3人ともびっくり、これが韓国式の挨拶?

話をしてみれば、この二人赤字旅行社の社員だった、仁川で待っていたのに到着時間になっても

我々が来ないので、ここでずっと待っていたらしい

こっちにはこっちの事情があった、A氏は政治家の秘書だけあって肝っ玉が据わっている

「なにを言ってるか!居なかったのはそっちだろ!」と反撃

おたがい押し問答でらちがあかない、A氏は「おまえでは話にならん」と言って、若い方と話しを始めた

若い方は穏やかで、すぐに話しは終わった

「明日の朝、私がお迎えに来ます」と言って帰って行った。

後日わかったけれど、我々に原因があった、飛行場からの出口ゲートはいくつもあって、飛行機毎に

出口が決まっているのに、それを知らない我々は適当に出てしまったから、正式なゲートで

待っていた旅行社に会えなかったというわけだ、そこに早とちりの別の旅行社が居合わせて

我々を運んだわけだ、しかし高速代の1万円は、ぼられたね、だけどタクシー代と思えばどうなんだろうか

別のホテルへ行ったのは、ちょっとおまけだったけど良い経験をした

翌日は快適に板門店見学をしてきました。

だけどお客をいきなり怒鳴るなんてのは、お国柄ですね、ちょっと面白い経験だったけど郷にはいらば郷に従え

と言いますから笑い飛ばしましょう。 

 

 

 


国宝「傳一文字 山鳥毛」上杉謙信の故郷に戻るのか?

2017年04月10日 10時10分15秒 | 戦国時代

人口20万人ほどの新潟県上越市が、郷土の英雄、上杉謙信の愛刀「山鳥毛」を

3億数千万円で購入しようと名乗りを上げた。

いろいろなブログを見ると、山鳥毛は上州の戦国武将、長尾氏から関東管領だった

上杉謙信に送られた名刀とのこと。

無銘であるが備前一文字の名刀で2尺6寸を超える大振りな太刀であり

鎌倉時代の作であるから、謙信の実戦刀の一つだったであろう

写真で山鳥毛のいわれでもある刃紋を見たが、見たことも無い様子で是非実物を

見たくなった。

上杉家は、越後の長尾家から始まっているが、謙信が、まだ長尾氏であったとき

関東管領(足利将軍に指名されて、関東全域を支配する地位の人)だった上杉憲政が

小田原北条氏の圧力に屈して越後の謙信(当時は謙信では無いが便宜上)を

頼って落ち延びてきた。 当時、謙信は義の武将として強気をくじき、弱気を助けると

評判であった、領土拡大を目指す戦国武将ばかりの時代に自分の領土を守るが

他の領土は奪わないという珍しい欲の無い武将だった。

上杉憲政は謙信に、伝統ある上杉の姓と共に関東管領という地位までも譲った

(養子縁組と言うことか?)

謙信は晴れて上杉を名乗る様になったのだ、謙信は織田信長や豊臣秀吉のように

天皇や朝廷を、自分の権勢の拡大のため利用するタイプでは無く、天皇の権威を

心から敬う尊皇の武将でもあった、こうした天上の尊き人から声をかけられるだけでも

恐縮、感激して感涙を流す様な人だったと言われている。

こうして天皇の武将(官軍だ)となった謙信は晴れて関東平野に出陣した、勿論

関東に勢力を張る、北条氏を征伐するためだ、関東平野に点在する数多の武将たちは

常に強い者になびく習性があった、それが唯一の生き抜く道だったのだから仕方ない

上州(群馬県)の白井の長尾氏は謙信を迎えて、この「山鳥毛」を贈ったと言うことだ

これ以来、「山鳥毛」は謙信が蒐集した二十数振りの名刀の一つになった

大東亜戦争、太平洋戦争を超えて間もなく、上杉家から岡山県の事業家の手に渡った

と言うことだ、当時すでに国宝に指定されていたが個人所有であった。

ずっと岡山県の宝として博物館に所蔵されていたそうだが、昨年持ち主の個人と

上越市が話し合い、3億数千万円で買い取る話しができあがったということだ

上越市では今、賛否両論の市民の意見が飛び交っている、議会でも一本化されていない様だ

大筋の意見では買っても良い方向の意見が多いらしい、但し条件として

「寄付金だけで買えるならOK!、税金投入はまかりならぬ」という意見がある

一方、「こんなチャンスは滅多に無い、寄付金を募り不足分は税金でもやむを得ない」という

肯定意見も多い。

この国宝を手放すことになるかもしれない岡山県でも波紋が広がっている様だ

もともと「山鳥毛」は備前(岡山県)で作られた備前刀だから手放してはいけないという意見

だが国宝とは言え、所有者は個人だから所有者が手放すと言えばどうにもならない

人口が上越市より200万人近くも多い岡山県だが、この刀に3億円払って購入する余力は無い

それを、地元の英雄「上杉謙信」の名刀を買い戻そうという人口20万小さな雪国の自治体の気概は

買いたいと思う。