おはようございます。アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
昨日(3月2日)は、頭髪と身体の手入れの間に出勤しました。
ここ1週間ほど右のふくらはぎに違和感を覚え、それをかばっているうちに腰痛になってしまいました。
椅子に長く座っていると、立ってからしばらくはおじいさんのように腰が曲がった状態になることがあります。
私自身腰痛とはかなりの長さのつき合いなので、自分なりの調整法を知っていますが、念のためらくらく整体に17:00から行って体をほぐしてもらいました。
さて、私はカウンセリングにメタファー(たとえとして使う表現)を使うことがあります。
ブッダの原始仏典に使えるメタファーがかなりあるのですが、そのことは後日に触れることにして、今回は高校時代に読んで忘れられないでいる『名人伝』(中島敦の昭和17年12月作の短編)を用いることにしましょう。
「あらすじ」(Wikipedia)は、次のとおりです。
趙の都・邯鄲に住む紀昌(きしょう)は、天下第一の弓の名人になろうと名手・飛衛(ひえい)に入門し、五年余の難しい修行のすえに奥義秘伝を習得する。
紀昌は飛衛を殺そうとして失敗し、さらなる名人を求めて西の霍山に隠棲する老師・甘蠅(かんよう)を訪ねる。
紀昌は矢を放たずに鳥を射落とす不射の射を甘蠅に魅せられ、霍山にとどまる。
九年後、紀昌は無表情の木偶のような容貌になって邯鄲に戻ってくる。
飛衛をはじめ邯鄲の住人は紀昌を天下一の名人と認めて絶賛するが、紀昌は「至射は射ることなし」と言って名人芸を披露しようとしない。
「弓をとらない弓の名人」として紀昌はかえって有名になる。
その後ついに紀昌は弓を手に取ることがなく、晩年には弓の名前すら忘れ去るに至る。
*5分~10分くらいで読める短編ですので、全文を読んでみたい方は 青空文庫 で。
このストーリーを「守・破・離」で説明すること可能なのですが、腕を磨くメタファーとしたくないので、私は、「『弓をとらない弓の名人』に達した紀昌」に注目して次回につなげます。
テーマは「忘れてこその関わり」です。
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