おはようございます。アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
昨日(3月14日)には通信教育とご縁のある日でした。
午前中には、ある研修会社のe-learningをご担当の方2人がご来社、ある企画で監修することの打ち合わせをしました。
また、PHP研究所 からは4月新規開講の通信教育テキスト『アドラー心理学に学ぶ「やり抜く力」の高め方』(永藤かおる著、岩井俊憲監修)が届きました。
PHP研究所 からの通信教育テキストは3コース目になり、今までには管理者・リーダー向けの『リーダーのための心理学入門コース』、ビジネス基本・社員全般向けには『アドラー心理学に学ぶ「やる気」の高め方』が好評を博しております。
さて、「『名人伝』(中島敦)を素材とするカウンセリングのメタファー」シリーズの第7回目です。
今までの部分に関心のある方は
1回目 3月3日
2回目 3月7日
3回目 3月8日
4回目 3月10日
5回目 3月11日
6回目 3月13日
のブログをご参照ください。
『名人伝』(中島敦)のストーリーをカウンセリングのメタファーから分けると、
第1期 執着期
第2期 格闘期
第3期 忘却期
の3段階に分けられます。
*簡単に読める短編ですので、全文を読んでみたい方は 青空文庫 で。
第2期の「格闘期」をカウンセリングに当てはめると、カウンセラーとしての守備範囲を超えて自分の体験談を話したり、早過ぎる助言に入るモードの人もいたり、自分の体験とシンクロしてしまい、カウンセリングが有効に機能しないケースが見られ、共感に留めておかなければならないクライアントに対して同情モードに入ってしまいがちなことを書きました。
ここからはメタファーの核心部分に入ります。
話を『名人伝』に戻して、要旨を書きます。
弟子の紀昌に伝えるべきすべてのことを伝えた飛衛は、この道の蘊奥(うんのう)を極めたいと望むならば、甘蠅(かんよう)老師に師事することを勧めます。
気負い立つ紀昌を迎えたのは、羊のような柔和な目をした、しかし酷くよぼよぼの爺さんである甘蠅老師。
年齢は百歳をも超えていると思われ、射之射(しゃのしゃ)というレベルにある紀昌がいまだ不射之射 ― 弓を使わずに射る方法 ― を知らぬと見抜き、自らモデルを示します。
空の極めて高い所を一羽の鳶が悠々と輪を描いていて、その胡麻粒ごまつぶほどに小さく見える姿をしばらく見上げていた甘蠅が、やがて、見えざる矢を無形の弓につがえ、満月のごとくに引絞ってひょうと放つと、鳶は羽ばたきもせず中空から石のごとくに落ちて来たのでした。
九年間の修業を経て、山を降りて来た紀昌の顔付の変ったのに人々は驚きました。
以前の負けず嫌いな精悍な面魂はどこかに影をひそめ、なんの表情も無い、木偶のような愚者とも言える容貌に変っていたのでした。
邯鄲の都は、天下一の名人となって戻って来た紀昌を迎えて、やがて眼前に示されるに違いないその妙技への期待に湧返ったのですが、紀昌は一向にその要望に応えようとしません。
それどころか、弓さえ手に取ろうとしないのです。
山に入る時に携えて行った弓もどこかへ棄てて来た様子です。
甘蠅師の許を去ってから四十年の後、紀昌は静かに、誠に煙のように静かに世を去りました。
その四十年の間、彼は絶えて弓を口にすることが無かったのです。
彼の死ぬ一二年前のことらしい。
ある日老いたる紀昌が知人の許に招かれて行ったところ、その家で一つの器具を見ました。
確かに見覚えのある道具なのですが、どうしてもその名前どころか、その用途も思い当りません。
老人はその家の主人に尋ねました。
それは何と呼ぶ品物で、また何に用いるのかと。
その家の主人は、古今無双の射の名人である紀昌が、弓の名も、その使い道も忘れたことに驚き、慌てふためきます。
第3期の「忘却期」は、第1期「執着期」の問題や症状にとらわれていた時期、第2期「格闘期」の問題に格闘していた時期を経て、とらわれ、格闘してきたことを「忘れる」段階です。
実際にこうなるためには数十年の時間が必要かもしれませんが、「忘却期」を迎えなければならないことの意味とその方法を次回にお伝えします。
<お目休めコーナー>3月の花(15)
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