おはようございます。
アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
昨日(12月27日)は、今年最後の最終出勤日。
大掃除後、社員と中華料理のバイキングを楽しみ、以降9日半の、おそらく私にとってヒューマン・ギルド設立以来最長の大型連休を迎えました。
ただ、自宅でやらなければならことがたくさんあります。
さて、昨日は仏教の立場から「慈悲」の本当の意味と母親の思い出を書くことことを予告していました。
今はあまり使われていませんが、以前は「厳父」と「慈母」が対比して使われていたこともあります。
言葉どおりでは「厳しい父」と「慈しむ母」として、前者を「父性」、後者を「母性」として表現されることも多いようです。
ここからが仏教の立場から「慈悲」の意味を探ることになります。
慈悲=「抜苦与楽」
と仏教では言われます。
「慈」と「悲」とはもともと別の言葉で、
慈・・・・喜びを与える(与楽)
悲・・・・苦しみを除こうとする(抜苦)
です。
思えば、【母なるもの】は、この両方を与えてくれます。
慈悲そのもので、幼い時は乳を、食事を与えることで喜びをもたらしてくれ、体に痛いところがあると「痛いの痛いの飛んでけー」と苦しみを取り除いてくれます。
このように思うと、【母】、【母なるもの】は偉大です。
私は、自分の誕生日を迎える年の瀬になると、父よりも母により多く感謝の念を抱きます。
子どものころいつも「尊敬する人は?」と尋ねられると「父」と答えていた私にとって、父が75歳の時期に父の念願だった観音霊場巡りのために秩父の34か所、坂東の33か所に同行することで親孝行ができていたのに、母に対しては何もできなかったからなおそら、母がこの世を去ってからやり残し感と感謝の念が同居しているのです。
そんな思いで綴ったのが下のアーカイブ(記録文書)として掲載したブログです。
お読みいただければ幸いです。
・2017年12月30日付けブログ 過去の巻頭言から(10):母(1)― 母のひと言
・2017年12月31日付けブログ 過去の巻頭言から(11):母(2)― 母のひと言
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<お目休めコーナー>12月の花(21)
