おはようございます。
アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
私の大型連休の初日の昨日(12月28日)は、カミさんと一緒に私たちの終の棲家(ついのすみか)の墓地のあるお寺に行って「一陽来福」のお守りをいただき、住人がまだいないお墓の清掃をしてきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/b4/63f22f9fef191f1c1f770547dd443f50.jpg)
タクロウの出た大学・学部の前にあり、有名な神社の隣に位置しています。
天ぷらの昼食後、東京オペラシティで「クラブツーリズム貸切」公演のキエフ国立フィルハーモニー交響楽団による「新世界&第九」を聴きに行きました。
ヴァハン・マルディロシアン(指揮)
イワンナ・プリシュ(ソプラノ)
オリガ・タブリナ(アルト)
オレクサンドル・チュフピロ(テノール)
アンドリー・マスリャコフ(バリトン)
志おん混声合唱団(合唱指揮:辻志朗)
で演奏自体は素晴らしかったのですが、「クラブツーリズム貸切」にがっかりしたことが2つありました。
その1つは、S席での予約だったのに、席は1階の最後部の後ろから2列目。
「こりゃS席でなくA席だろうが」と思いました。
もう1つは、演奏が終わって多くの聴衆が好演を称えて拍手をしているのに、帰りを急ぐ人たちが続々。
「何しに来ていたんだ、この人たち」と、品格を疑いました。
「貸切」でないコンサートでは、よほど不評な演奏以外こんなことはありえません。
演奏者だけでなく拍手を惜しまない人たちにとって、はなはだ失礼かつ卑劣な振る舞いであります。
私は、このことをアンケートにしっかり書き込み、少なくとも「クラブツーリズム貸切」の演奏会には行かないことを決めました。
ところで私は「卑劣」と書きましたが、「老いることが卑劣と遠ざかっている」ことを書いたヘルマン・ヘッセの『人は成熟するにつれて若くなる』(V.ミフェルス編 岡田朝雄訳 草思社)から「老いてゆく中で」という詩を思い出しました。
『ジェロントロジー宣言― 「知の再武装」で100歳人生を生き抜く(寺島実郎、NHK出版新書、780円+税) でも半分ほど引用されていました。
若さを保つことや善をなすことはやさしい
すべての卑劣なことから遠ざかっていることも
だが心臓の鼓動が衰えてもなお微笑むこと
それは学ばなくてはならない
それができる人は老いてはいない。
彼はなお明るく燃える炎の中に立ち、
その拳の力で世界の両極を曲げて、
折り重ねることができる。
死があそこに待っているのが見えるから、
立ち止まったままでいるのはよそう。
私たちは死に向かって歩いて行こう。
私たちは死を追い払おう。
死は特定の場所にいるものではない。
死はあらゆる小道に立っている。
私たちが生を見捨てるやいなや、
死は君の中にも私の中にも入り込む。
私にとって卑劣なことから遠ざかり、いつまでも微笑み続ける老人になろうと思いを強めた昨日でした。
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<お目休めコーナー>12月の花(22)
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