おはようございます。
アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
以前にも書いたことがあるのですが、最近の私の違和感は「尊敬」の言葉のニュアンスです。
「尊敬」には「尊び敬うこと」として、どうしても下の立場の人が上の立場の人を仰ぎ見る感覚が伴います。
つまり「タテの関係」です。
アドラー心理学では、「尊敬」は「信頼」とセットで「相互尊敬・相互信頼」として使われますが、ここでのニュアンスは「ヨコの関係」です。
この要因は日本語の「尊敬」と、英語の「respect(リスペクト)」の違いによるものです。
「respect」には、「タテの関係」だけではなく、対等の関係でも立場の下の人にも使われます。
しかし、「尊敬」だとどうしても「タテの関係」の重々しさを感じてしまいます。
最近では、スポーツ選手や芸能人もよく「リスペクト」という言葉を使っています。
先日、“Adlerian Counseling and Psychotherapy Second Edition”(Don C. Dinkmeyer, Don C. Dinkmeyer Jr. and Len Sperry)の本を読んでいたら、こんな文章を見つけました(ほんの少し意訳が入っています)。
相互尊敬と相互信頼は、アドラー派の援助的な関係 ― 人の優劣は存在しないという平等の関係 ― に欠かせない要件である。
心理的な動きを創り出す〔目標の〕方向に向けてお互いに協力しながら努力をしようとすると、カウンセリングを受ける人(クライアント)が自分自身の人生に責任を感じるのである。
「人の優劣は存在しないという平等の関係」を強調した、完全にヨコの関係です。
私と同じ思いをしている人のメルマガを読みました。
From: 辻秀一【フローマインド】 <support@flowmind.jp> Date: 2019年11月15日(金) 6:36 Subject: 「尊敬できなくても思いやりを」で、辻秀一先生は、『リスペクトは尊敬と違う!』としてこんなことを書いていらっしゃいました。
リスペクトという英語は日本でもすでに馴染みの英語なので、ほとんどの人は聞いたことのある言葉のはずです。
どのような意味だと捉えているでしょうか?
通常の日本語訳は尊敬するとなります。
しかし、ライフスキル脳として使う場合は、尊敬というよりも尊重する方が近いと思います。
人の生きる尊厳を認め、どんな人もその存在を認めるというような感じです。
わたしはもっとわかりやすい言葉として、“思いやり” だと考えています。
リスペクトされて思いやりを持って接してもらい、嬉しくない人はいないでしょう。
しかし、相手のためとばかり考えて、思いやりを持とうとすると相手に心を持っていかれてしまいます。
相手に思いやりを持つのは大事ですが、思いやりを持つに値するかなど認知脳が相手を評価してしまいたくなり、思いやりを持つことが難しくなるのです。
思いやりを持って生きるかどうかはその方が自分自身の気分がいいかどうかで決めましょう。
すなわち、フロー状態に傾くかどうかで判断してみるのです。
リスペクトの考えで日々生きている自分、思いやりを持って生きている自分とそうじゃない自分を想像してみてください。
どちらの方が自分らしく揺らがず・囚われずフローな気分で生きているでしょうか?
相手の立場や評価から離れて、ただただ自分のためにリスペクトして生きることがライフスキルなのです。
したがって、尊敬とは違う意味合いになります。
尊敬とは尊敬する部分を相手に見出して、目上の人を尊敬するようにそこに優劣感が生じている感じです。
どんな人も尊敬はできないかもしれませんが、いつでもどこでもリスペクト “思いやり” を自分のために持っていきることは可能でしょう。
*辻秀一 フロー語録より
そうだ、これからは「尊敬」も少し使うけれど、「相互尊敬・相互信頼」を使う以外は「尊敬(リスペクト)」とするか、「リスペクト」で行こう!
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<お目休めコーナー>12月の花(4)
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