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自分なりに熟したと感じるアプローチ

先日、人前でショパンのソナタの3番の1楽章を弾く機会があった。

いつものように、あそこが弾きにくいとか、あの部分に気をつけようとかいろいろ考えながら臨んだが、余裕たっぷりにはなかなかなれず、ドキドキしながら弾く事となった。

そして、主催者の方に何気なく、いつもそれを弾かれてますねえと言われ、ハイ、こればっかり弾いてます、と答えた。でもよく考えたら、自分以外の方がいつもと思うのに、肝心の自分がそう思わないのはいかんなあと思い直した。それって変な例えだが、いつまでも自分の子供を子供扱いする親みたいなものかも〜〜と思った。

ある程度弾きこんだら自分なりに曲との接し方が成長したという気持ちにならんといかんと。そういうふうにして、ある程度熟した曲の状態を自分で理解しないといけないのではないかと思った。そういう気持ちになったらまた新しいアプローチも可能になってくるのだと思う。

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