ドライマンゴです。ピアノやマイペースな日常生活を綴っていきます
ドライマンゴのピアノ道楽
呼吸が浅いのがよくわかる
過日自分の演奏をDVDで見る機会が合ったが、そのひどさにショックを受けしばらく何にも考えられなくなった。
その時まで子供やダンナと些細なことで言い合いしたり、あるいは仕事のことをああでもない、こうでもないとか考えていたが、すべてふっとんでしまうくらい・・・。「あれ、私、何をかんがえていたんだったけ・・?」とわからなくなってしまった
自分の演奏について・・かなり頭でっかちである。身体に音楽が入ってないから、呼吸が浅いのが見ていてすごくよくわかる。
音楽が身体に浸透していれば、そこではそうは動くまい、と思うところがすごーくいっぱいあって、「これって、頭でっかちなんだよなあ~~」と、悲しくなってしまった。
歌とかやるといいのかななんて思った。だって歌は身体が楽器だから、動きと歌は一致するよね~~。
・・・頭で分かっているのだととしたら、それをもう少し下まで、下ろせるようにイメージしたらよいのかしら。
極端な話、足の裏から地のエネルギーをもらうみたいに・・。
・・・試行錯誤はまだまだ続く。腕の振りとか手を鍵盤になじませるとかよりも、もっと何かあるはず。
その時まで子供やダンナと些細なことで言い合いしたり、あるいは仕事のことをああでもない、こうでもないとか考えていたが、すべてふっとんでしまうくらい・・・。「あれ、私、何をかんがえていたんだったけ・・?」とわからなくなってしまった
自分の演奏について・・かなり頭でっかちである。身体に音楽が入ってないから、呼吸が浅いのが見ていてすごくよくわかる。
音楽が身体に浸透していれば、そこではそうは動くまい、と思うところがすごーくいっぱいあって、「これって、頭でっかちなんだよなあ~~」と、悲しくなってしまった。
歌とかやるといいのかななんて思った。だって歌は身体が楽器だから、動きと歌は一致するよね~~。
・・・頭で分かっているのだととしたら、それをもう少し下まで、下ろせるようにイメージしたらよいのかしら。
極端な話、足の裏から地のエネルギーをもらうみたいに・・。
・・・試行錯誤はまだまだ続く。腕の振りとか手を鍵盤になじませるとかよりも、もっと何かあるはず。
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だんだん大胆になる
エステ荘に合わせて心の中が水色になっている今日この頃、水色に引きつけられドレスを買ってしまった!(@_@;)(きゃあ~~)。お店でイメージ通りのドレスを見かけたのだが、どっちかというと濃い系の色の方が合う私、淡い色はだめやろなあと思いつつ試着したらドレスがきれいで自分が目立たなくて違和感があまりなかった。ハートがプルプルゆすぶられ「ほしい、ほしい」と心の声。しかし贅肉ムチムチ太っちょの私、ファスナー上がらなかった。ところが、商売上手なお店の奥さん「お直しただでしますから~~。」ただという言葉に乗せられ「ハイ、お願いします」と答えてしまったのだった。人様におみせできない肩と二の腕なのに、なぜこんなに大胆な買い物をしたのか。もう恐いもの知らずの年やし、だんだん感覚がマヒして大胆になっているよなあ…。(ΘoΘ;)
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エステ荘、暗譜で弾いてみた
エステ荘、先日暗譜で人前で弾くと見事に(?)とんでしまって焦ったが技術的にも甘い指で弾いてたら難所は崩れると思った。その時のピアノは軽いタッチでビシッと弾かなくても音は出たのだが、カチッと弾きつつピアノに合わせて重量を変えるというのが難しい。引き締め方をどうしたらいいかわからない。よっぽど縦の形が決まってないと崩れそうで…。(ΘoΘ;)雪道が滑りやすいみたいな…。(?_?)
トレモロもオクターブは形が決まって回転が上手く行くが和音の幅が小さくなるとかえって形が崩れてしまう。やはり技術的課題も多い曲だなあと思う。
ハンガリアンの跳躍と重量とは違う技術である。
トレモロもオクターブは形が決まって回転が上手く行くが和音の幅が小さくなるとかえって形が崩れてしまう。やはり技術的課題も多い曲だなあと思う。
ハンガリアンの跳躍と重量とは違う技術である。
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まるで魔法のように~
我が家の猫の額のような狭い庭。沈丁花が枯れてしまったので、その後に去年きぼうしを植えた。この植物は葉っぱが大きくて何となくユーモラスで好きなのである。ところがきぼうしはだんだんと枯れていきやがて消えてしまった。「環境が合ってなかったのかなあ…」とがっかりしたが、先日庭に出てみたら(冬場はほとんど出ないので)なんと急にまったくもとどおりに復元されていたのでビックリ\(◎o◎)/!
根が生き残ってたのね~。まるで魔法のようで嬉しい出来事だった。
根が生き残ってたのね~。まるで魔法のようで嬉しい出来事だった。
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指をはめ込む練習
ハンガリアンで私にとって一番難しいのは最後にでてくる高速のスケールである。指が固まって回転しなくなるのである。手の落下のエネルギーをいかに有効に使えるかがポイントである。落下のエネルギーとはあまり素晴らしいたとえではないが、ちょうどパチ〇〇の玉が打ち上げられてからあちこち当たりながら下へ落ちていく感じだ。しっかり指に重みが乗って鍵盤底の跳ね返りも活かしてエネルギーが消えてしまわないようにしないと~。で今考え付く良い練習はスタカートでしっかり重みを乗せる事である。多分ポイントは向きの定まり難い2の指。チャ、チャ、チャ、チャ、グーンの所、グーンを鮮やかに弾けるようになりたいなあ~。
(^-^;)
(^-^;)
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ハンガリアン、いろいろ聴いてみた
ハンガリアン、自分の録音をようやく聞き、また〇ou tubeの演奏も聴いてみた。
やはり始めの音色、もうひと工夫いるなあ。もう少し荒っぽいような音。優しい所と対比をはっきり出さないと。でも〇ou tubeの演奏の中で荒々しすぎてかなり…のものもあった。この曲は時に激しく弾かれすぎの事もあるのかも。(腕のない私はそうしょうと思ってもできないけど。)ひとつはっきり思ったのは椅子が低いと弾けない!速いパッセージなどまるで光がチカチカしてるみたいな演奏効果が出せたらいいけど手の落下のエネルギーで弾かないと速く弾けないよねぇ。
この曲に合う表現はまだまだ取り組む余地ありよね。先日「先生合ってない」と言ったお友達は「貴重な人である」とうちのダンナは言った。ハンガリアンの2でもう一皮むけれたらそうだよねぇ~~。(でももう限界かも)
やはり始めの音色、もうひと工夫いるなあ。もう少し荒っぽいような音。優しい所と対比をはっきり出さないと。でも〇ou tubeの演奏の中で荒々しすぎてかなり…のものもあった。この曲は時に激しく弾かれすぎの事もあるのかも。(腕のない私はそうしょうと思ってもできないけど。)ひとつはっきり思ったのは椅子が低いと弾けない!速いパッセージなどまるで光がチカチカしてるみたいな演奏効果が出せたらいいけど手の落下のエネルギーで弾かないと速く弾けないよねぇ。
この曲に合う表現はまだまだ取り組む余地ありよね。先日「先生合ってない」と言ったお友達は「貴重な人である」とうちのダンナは言った。ハンガリアンの2でもう一皮むけれたらそうだよねぇ~~。(でももう限界かも)
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レッスンを受けた
G/W、先生と日程を合わせることができたのでレッスンを受けに行ってきた。
「すみません。ハンガリアンはしばらく寝かせます。」
「でマゼッパは?」「あれは止まってまして・・・。」(きゃあ先生マゼッパのこと覚えていたのですね。。)
でエステ荘の噴水を聞いていただいた。
始めのところ「音にきらびやかさがほしいです。少し厚すぎます。」
軽くきらびやかに弾くのが苦手な私には難しい。印象派とかほとんど弾いてないしなあ・・。
左手和声が変わるところ「慎重に丁寧に注意して弾いて下さい。とくに最後の次に移る音は大事です。」
そう、私は繊細に弾けない。(それは鈍感だから~)聞き手よりまず弾き手が和声の移り変わりなど慎重に気づいて心して丁寧に弾かないと
配慮のない演奏になってしまうだろう。(ゲキチ氏も公開レッスンのとき和声の移り変わりをスポットライトをあてるように取りあげていらしたのを思い出した。・・ピアノを弾くには限りなく細部に敏感に・・ということでしょうね・・。)
そして極力余分な動きをしない手の運び方の指導。それから鍵盤の上に確実に指を乗せること。いつもの指入れ。
指使いを弾きやすいものにかんがえなおすことなどなど。
今日は私の練習用持ち運びの70%コピーの楽譜も持っていった。(運指は主にこちらに書き込んでいるので持参した。先生は「ちっちゃあ~~。」とびっくりされていたが、自分で書き込みまわってめちゃくちゃきたなくする楽譜はコピーの分にしている。)
先生はいつも時間に厭われずものすごく懇切丁寧に教えてくださる。このたっぷりさはユーロピアンチックよねえ。。。なんとなく音楽的みたいな。。。
先生にハンガリアンとエステ荘の難易度を尋ねたら、「ハンガリアンのほうが大変です。あれは男の人が重量で弾く曲です。エステ荘だったら
私も弾けそうな気がしますが・・。」(むろん私が弾くというのと先生が弾かれるのは次元が違う話である。先生は細くて小柄で手も小さめ、でも本気のfffは私よりはるかに厚みがあって楽器がすごく鳴る。)
最後に私の演奏については「リストの甘さが足りません。彼は多くの女性を取り込んだ人じゃないですか。多くの女性が夢中になったその甘さがまだ足りないのです。」といわれたのだった。
女性が夢中になる甘さはショパンの特権みたいなイメージが自分にはあったが、リストもなかなか甘さでは負けないんだなあ・・。
「すみません。ハンガリアンはしばらく寝かせます。」
「でマゼッパは?」「あれは止まってまして・・・。」(きゃあ先生マゼッパのこと覚えていたのですね。。)
でエステ荘の噴水を聞いていただいた。
始めのところ「音にきらびやかさがほしいです。少し厚すぎます。」
軽くきらびやかに弾くのが苦手な私には難しい。印象派とかほとんど弾いてないしなあ・・。
左手和声が変わるところ「慎重に丁寧に注意して弾いて下さい。とくに最後の次に移る音は大事です。」
そう、私は繊細に弾けない。(それは鈍感だから~)聞き手よりまず弾き手が和声の移り変わりなど慎重に気づいて心して丁寧に弾かないと
配慮のない演奏になってしまうだろう。(ゲキチ氏も公開レッスンのとき和声の移り変わりをスポットライトをあてるように取りあげていらしたのを思い出した。・・ピアノを弾くには限りなく細部に敏感に・・ということでしょうね・・。)
そして極力余分な動きをしない手の運び方の指導。それから鍵盤の上に確実に指を乗せること。いつもの指入れ。
指使いを弾きやすいものにかんがえなおすことなどなど。
今日は私の練習用持ち運びの70%コピーの楽譜も持っていった。(運指は主にこちらに書き込んでいるので持参した。先生は「ちっちゃあ~~。」とびっくりされていたが、自分で書き込みまわってめちゃくちゃきたなくする楽譜はコピーの分にしている。)
先生はいつも時間に厭われずものすごく懇切丁寧に教えてくださる。このたっぷりさはユーロピアンチックよねえ。。。なんとなく音楽的みたいな。。。
先生にハンガリアンとエステ荘の難易度を尋ねたら、「ハンガリアンのほうが大変です。あれは男の人が重量で弾く曲です。エステ荘だったら
私も弾けそうな気がしますが・・。」(むろん私が弾くというのと先生が弾かれるのは次元が違う話である。先生は細くて小柄で手も小さめ、でも本気のfffは私よりはるかに厚みがあって楽器がすごく鳴る。)
最後に私の演奏については「リストの甘さが足りません。彼は多くの女性を取り込んだ人じゃないですか。多くの女性が夢中になったその甘さがまだ足りないのです。」といわれたのだった。
女性が夢中になる甘さはショパンの特権みたいなイメージが自分にはあったが、リストもなかなか甘さでは負けないんだなあ・・。
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「先生合ってないんじゃない? 」
先日とあるお友達から「ハンガリアン、型にはまりすぎてるわ。先生合ってないんじゃない?」といわれた。いきなり先生が合ってないとは大胆というか、ぶしつけというか…。こういうふうに遠慮なく言いたいことをいう人も世の中いるんだとびっくりしたが、意見のひとつなんだろうなあと思った。曖昧で(いえ度量が大きすぎて)指示の素晴らしさがよく分からなかった前の先生に比べ、今の先生の方は指導が具体的で分かりやすいし、何より鮮明な脳髄に染み込むようなタッチと音が素晴らしい。指導を受けて格段に弾きやすくなったので内心上手くなったと思っていた私は先生が合ってないんじゃない?と指摘され意外であった(椅子の低さを除いては先生に異存はないし)。多分人それぞれ何を求めるかというのが違っているんだろうなあと想像する。自分はいいと思うことも、他の人はそう思わない事もある。今の先生は裏拍の間までもきっちり刻んで数える方だから、きちきちっという印象が強く出るのかしら。面白くないと言われたらそれまでだけど、それは先生というより私の力量不足よねぇ~。
まあいろんな人もいろんな好みもあると思った出来事だった。
まあいろんな人もいろんな好みもあると思った出来事だった。
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