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今期の授業は終了!

 今期の授業ようやく終了! バンザーイ!

 今年は自分の今までもっていた時間の使い方や時間の流れ方についての概念の修正を凄くしなければならなかった。
毎日がサバイバルゲームのような。
でもあせりすぎて呼吸が浅くなると病気になってしまうとも思ったし、緩急のバランスをくずすと体調もくずすとも思ったし。挑戦ばっかりがよいことではないとも思ったし--つまりいっつもうまくいくとは限らないからうまくいかなかったときはすごくしんどいと。
 相手あっての仕事は自分のことばっかり考えていてもだめだし。

まあ、多少しんどくても静かにわらっていられたらいいのかもしれない。周りの状況もかわっていくし。
すべては大河ドラマのように・・・。
でも自分は決してドラマのヒロインみたいにかっこよくない。
むしろ、すごくかっこわるいと感じる今日この頃・・・。(+_+)

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コツは落とし込み過ぎないこと

最近、発見した。腕が痛くなるオクターブの連続や和音は重心を落とし込み過ぎないことで弾きやすくなると。
和音はきっちり押さえて鳴らさんといかんと思うからどてっと重くなる。すると次の動きに持っていけず腕に負担がかかり痛くなるのだ。これを重心を下げ過ぎず指の曲げ伸ばしを使いながら弾けたら腕は痛くならないんじゃないかと想像する。
また試してみたい。(^^)
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視野を広く持つと楽

普段の仕事、授業をするのがやっぱり一番しんどい。

なぜこんなしんどいことをしないといけないか、とか時々思うが、考えれば考えるほど深みにはまってしんどくなっていく。

でも、視野を広く持つと楽とある時急に思った。

それは昔、大聖堂を作っていた労働者が「働くの厭だ。」と思うと楽しくなくて不幸せだったが、別の労働者が「大聖堂を作っているんだ。楽しいよ。」と思うと幸せだったのに通じると思う。

自分がしていることは広く大きな意味を持つと考え、それにつなげていく。

そういうものをいつも意識していきたいと思う。
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強い自分と弱い自分

同じ自分なのに強い時と極端に弱い時と両方あると最近発見した。
弱い時は、何もうまく出来ないような気がして何処にひそんで隠れていたくなる。
その一方で強い時は、多少しんどい事があってもどこ吹く風という気持ちになれる。心が軽いというか、なんというか。
心が軽い時は楽でいいよね。弱い自分にとらわれている時に、自分で切り替えのスイッチを押せたらいいのにと思う。
音楽聴いたりしたら、効くかなあ。
ねがわくばその方法を見出して自分をコントロールしていきたいものだ。
(^。^)
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ボリュームをこなす

 さて、もう2月になって教える仕事は1学年の終わりまでいよいよ後2カ月を残すのみとなった。

必死のパッチで「もう限界かも!」と息も絶え絶えに頑張ってきたが、途中で思うように全くできなくてももうなるようになれ、もう頑張れるだけ頑張ったねんし!と半ばあきらめ、開き直ってから気持ちは楽になった。

今思うのはボリュームをこなすことになれるのが修行みたいなもの、ということ。

多分音大出のおばが言っていたが、とにかく音大にいっていた頃はたくさん、たくさん曲を
ひいていかんといかんからたいへんだったと。
あるとき、長い曲の第2楽章をまさか譜読みしとかんでも
いいだろうと思って外人の教授のレッスンにもっていったら、「なぜ譜読みしとかんのだ!」と目茶苦茶怒られてこんなにしんどいなんてと泣きそうだったと思ったと言っていたのを今ふと思い出した。

なんか、昨年からの1年は私は音大時代のおばさんみたいな日をすごしているような・・。
バッハの4声のフーガ的な生活?
2声でもしんどいから、メロディーだけでもういいよみたいなかんじ。
とりあえず、中身よりボリュームという毎日である・・・。(+_+)


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