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日本の料理を作る 4

さてキャベツを刻んで小麦粉、玉子のキミと水を少しまぜそこに泡立た卵白を加えると、なかなかいい感じになった。コンソメを細かく砕いてまぜ、フライパンで焼いた。焼き上がりにバーベキューソースとマヨネーズをかけて完成。子どもに食べた感想を聞くと「お好み焼きの味」と言ったのでホッと一息。
マゴーシャさんたちも「おいしい」と言ってくれたがお愛想かもと少し不安。アルトゥール君はしっかりポーク残してたし…。まあ、とりあえずお好み焼きを無事作れたということで良しとしよう。

あとびっくりしたのは犬に鶏の足の冷凍を食べさせていたこと。リビングのカーペットの上に鶏の足のようなものがころがっていたので「これは何?」と聞くと「犬の大好物よ」翌日シベリアンハスキーのトロン君は好物を5、6個もらってバギバギバギと派手な音をたてて嬉しそうにかじっていた。
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こうしてポーランドでの3日間はすぎさった。
夢のような日々だった。多分私たちとっても、マゴーシャさん一家にとっても…。
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日本の料理を作る 3

お好み焼きの難関はキャベツを細かく刻む事だ。私はキャベツは一気に半分に切って刻んでいくのではなく一枚ずつはがして洗って使う。特に子どもが保育園で「キャベツ~のなかか~らあおむしでたよ」という歌を覚えて来て以来念入りにそうしている。
ところがポーランドのキャベツときたら寒い国だからかめちゃくちゃしっかり葉が固まってまいていてソフトボールみたいなのだ。ああ日本の春キャベツを見せてあげたい~あのフワフワゆるゆるの~(同じ野菜と思えないような)。で苦心してむいて刻んで…ああ包丁がほしい…。(こちらは刃がまっすぐでなく反り返った形のナイフの長いのを使う。)
作りながらマゴーシャさんと雑談をする。ふいに彼女が「ねぇ、一つ聞いていい?日本では犬や猫を食べると友達が言ってたけど本当?」「おお!
\(◎o◎)/☆★○●◎、それはX国と思うわよ」「あらそうなの?ごめんなさいね」まったく日本は彼女たちからみたらX国も一緒なんでしょうねェ。
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日本の料理を作る 2

大型スーパーに行ってまずキャベツはクリア、豚肉の薄切りもあって「ラッキー!」と思ったが、「これpigよ、いいの?」と何度も念押しされた。(ポーク食べないのかなあ…)一番困ったのはあのまったりとした美味しいソース。マヨネーズやケチャップはあるが、ソースがない。「ねぇステーキにソースかけるでしょ?」「いいえ、お塩よ。」という具合でまたしてもみたこともきいたこともないという顔をされた。(-.-;)醤油を売っている日本食コーナーでみてたら子どもが「ママ~、日本語!わ・さ・びって書いてるよ!」おお、わさび!でも今はいらん。探し回ってついにバーベキューソースというのを発見。
さあ後は頑張って作るのみだ。

※写真はショパンの生家です。
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日本の料理を作る 1

マゴーシャさんに「日本の料理を作って」と頼まれた私は考えこんだ。私の得意な料理というと、カレーライス(でもルーがない…)、スパゲティーミートソース(これってイタメシ?)、ハンバーグ(これも洋食?)ムム、何にしよう…。で、思いついたのがお好み焼きである。ところがマゴーシャさんにキャベツ/キャベッジ(cabbage)が要ると言っても通じない。そんな野菜見た事も聞いた事もないと言う。絵も書いて見たが私の下手な絵はキャベツからかけ離れていて分ってもらえなかった。でもいつも出してくれる野菜のピクルスに人参と一緒に入っているのはほぼ100%間違いなくキャベツだと思うんだけど…。そこで「その野菜は何?」と聞いてみた。「それはカバージュよ」おおそれはまさしくcabbageをフランス語風に読んだものではないか!「それそれ」「他は?」「山芋(yam)」…さすがにこれはないだろうなあ。こんなことならお好み焼きの粉を持ってくればよかったなあ…。いろいろ考えあのドロドロとしたものは玉子の白身を泡立てて代用したらいいと思いついた。
「あとシーフードとか入れるんだけど…」「まあそれは遠慮しときます」ということだった。
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麗しいショパン

この写真のショパン、私たちが普段見ているのと少し違う!?
実はこれはお土産もの屋さんで見つけたものだ。
CDのジャケットだが、このショパン、麗しく変えられている。CDそのものは買わなかったが他のものを買ったので写真を取らせてもらった。というのは一目みてこの麗しさと悩ましげなカメラ目線の表情にすごく個人的にうけてしまったからである。(爆)
マゴーシャさんに「ポーランドのショパンは麗しい」というと「それは彼がこの国の出身だからよ」と言っていた~。

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話は変わるがマゴーシャさんたちにうけた日本語は「チンチン電車」である。ワルシャワ市内にはトラムが走っていて子どもが見かける度に指差して「チンチン電車!」ていうので意味が分かったようで真似して「チンチン電車」と言って笑っていた。
ジェラゾバボーラ村の後私たちはアメリカ的大型スーパーマーケットに向かった。それは本当にまるでウ◇◇ン滯在記みたいに私が日本の食事を作る事になったのでその買い出しのためである。
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ジェラゾバボーラ村へ 2

答は、そう、ショパンの石膏の手である。買おうか買うまいか、しげしげと見つめ考えたが壊さずに持って帰る自信がなかったのでやめた。手に取ってみての感想は
1.なんて肉薄の手のひら!(私のほうが分厚いのでは!?)
2.几帳面にきれいに爪がカットされている(でないとピアノ弾けないからあたりまえか…)
3.長いすんなりとした指、関節1つぶんぐらい私より長い。(こんなに長い指ならあのエチュードの10ー1もさぞかしサラサラと弾かれてたのでしょうね…)
(*_*)\

(写真はショパンの生家のお庭です~。
特に何を写したという事のない写真ですが…川があったりとても広いです~)
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ジェラゾバボーラ村へ 1

3日め、マゴーシャさんのご好意でショパンの生家のあるジェラゾバボーラ村へ出かけた。ワルシャワから車で1時間半ぐらいである。前は道中の風景は牛などがいて、本当に田舎という感じだったが(夏だから外にでてたのかも)、今回は結構工場などがたくさんたっていた。しばらくいくとホテルマズルカという看板がみえた。さらに行くとホテルショパンがあった。(ウーン、こういう所に泊まるとドップリショパンに浸れるのかも。)
ショパンの生家に置いてあるピアノはカワイからスタインウエイに変わっていた。クリストファー君に前に来た事があるか聞くと「2回目だよ。前は遠足できたんだ」だそうだ。お庭の広い生家、雪のなかしんしんと立たずんでいたがちょうど200年前の今頃偉大なピアノの詩人が生まれたのだなあ…。
帰りお土産もの屋さんで例のものを見せてもらった。観光客に人気のその品物とは何でしょう?
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旧市街地~寒くて歩いている人も少ない

雪だるまを作って遊んだあとアルトゥール君が旧市街地に連れて行ってくれた。「これは★☆、これは○◎」と教えてくれたがなんせ寒くて(多分気温0~2度ぐらい)あまり写真も取らず素通りした。アルトゥール君も「寒い、寒い」と連発。「今日は歩いている人も少ないよ」(物見遊山の東洋人に付き合ってもらってごめんなさい
(ΘoΘ;)
ショパン博物館は今年新しくなったがまだ一般に公開されていなかった。ちょっと(いぇ、だいぶ)シーズンオフですねぇ~。
途中あまりにもひえたので公衆トイレに入ったら2ズォーテ(約80円)もした。(3人分で240円おばさんに払った)。
2時間弱でそうそうに市内見学は終了。以前来た時は夏でショパンの銅像のある公園に行ったが、今回はパス。やっぱりお勧めは夏である~。
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ショパンの国へ~ウ☆☆ン滯在記 再会編 3

空港に迎えにきてくれた長男のアルトゥール君,りっぱな若者になっていた。「まあ、こんなに大きくなって…!」と私はお母さんみたいな気持ちになったが、彼はすごく小さかったので覚えてないそうだった。(なーんだ…)
お家で奥さんのマゴーシャさん、次男のクリストファー君に会った時何だか夢をみているような気がした~。「これって本当かしら?」って。~~~

ワルシャワの街の印象は大都会になったなあということだった。2年後のユーロ導入記念スタジアムの建設で道路はすごく渋滞していた。(前はトラムに乗って回るというのどかな雰囲気だった…)
ショパンの生誕200年記念は?
ウーン、私の行く所ではあまりお目にかからなかったなあ。
着いた翌日雪が降り、アルトゥール君と雪だるまを作って子どもはおおはしゃぎだった。
。°\(^^)/°。
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ショパンの国へ~ウ☆☆ン滯在記 再会編 2

私が21年前に知り合ったのはポーランド人の夫婦と3歳と2歳の子ども、おばあさんという家族だった。子どもは二人とも男の子で思わずギュッと抱き締めてホッペをスリスリしたくなるぐらいかわいかった。英語を話すのはご主人だけだった。で私が一番親しくしていたのもご主人だった。奥さんとは身振り手振りで意志の疎通をはかった(努力家の奥さんはその後3年間英語を勉強し今は話せるようになっていた。)事情でご主人とは会えなかったが長い年月を経ても相変わらずきれいな奥さんと成長して大人になった子どもたちとのご対面は大感動であった。
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