帰路に着いていた時、背中、腰が痛いので立ち止まって休憩した時だ。道路の端っこにこの二輪のタンポポが目に付いたのである。これが春色だな。
正面の山は火の山公園 その左側に木の無いラインが見える。それがロープウェイである。
左から 「C591」「にちりん」「月光」ここまでは知る人ぞ知る名列車である。
「キハ47-01」この気動車は国鉄宮原線を蒸気機関車が牽引する客車列車に代わって走ったものである。
宮原線は久大本線恵良駅から肥後小国間26.6km 1937年から一時休止の期間があるが1984年に廃線となった。記憶にあるのは九州最高地の駅「麻生釣」だったと思うのだが・・・
0哩ポスト ゼロ哩ポストがあるのだがここが門司驛(開業当時の駅名)だったかどうかは判らぬが鉄道記念館前に記念碑の様にして造られている。少し視線を移動してみると「クンロク」と「C59]が見える。
何度もこの前までは来るのだが一度も中に入ったことがない。うーむ、いつか行こうかな。
「クンロク」のこと 9600形は大火室が台枠の上にあるためボイラの中心が高くなり、外観上なんとなく不安定な感じである。動輪も全体の高さを鑑みるにあまりにも小さい。高速運転には向いていない。まあ貨物用として開発しているからである。筑豊本線にあって石炭輸送で大いに活躍し、日本の発展に大きく寄与した蒸気機関車である。
「クンロク」奥に「C591」
「C591」のこと 静態保存されている C591 について少し。C55 C57の性能に満足出来ず、新しく大出力機関車を開発することとなり、昭和16年5月にC59形の第1号機が完成したのである。C57形の400トンの牽引能力に対してC59形は500トンもの力を発揮したのである。スタイルは「貴公子」と言ったところで特急列車(さちかぜ、あさかぜ)、急行列車(天草)をも牽引した名機であった。引退した後は準鉄道記念物に選ばれ、小倉工場に展示されていたものがいまここにあるのである。
門司港レトロ展望室 入ったことはないが・・高所恐怖症だからな。はははのは。
北九州市大連友好記念館 以前中国料理の店があったのだが・・中国人が余りにも多いときがあったので行かなかったけれど・・今ならいいよね。飲茶、点心でもどうかな。それにしても関門橋が近くに見えるな。これが写真の効果だな。
プレミアホテル門司港 我輩などが足を踏み入れることが出来るようなところではない。今は大変なご時世だからどうなっているのだろうか。気になるのは確かではある。本日は平日なものだから訪れる方も少ない。それでも少しの人出でも良いと思う。観光地には人がいないとね。誰かが言っていたが、「今は静かでいいですよ。外国から来ないから」だって。商売している方々は大変だ。
ブルーウィングもじ 跳ね橋だ。ある年代の方々なら勝鬨橋と言えばお判りであろう。
開いているぞ。