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筑後吉井に9:53着 あれやこれやと歩き、高齢の女性が立ち木を切っている姿があまりにもひどかったのでそれを見るに見かねて自分で切り倒してやった。その時間潰しが上手だったのか日田行の発車時刻の10分前に駅に着いた。
吉井での滞在時間は1時間50分だった。
筑後吉井11:43発 日田行 日田12:16着 上記の写真を見て頂きたいが、H_TAなんかとってつけたようだろ。我輩なんかこれを見て思ったのは愛(I)が無いじゃないかと。日田ではそうではなくてあなたの愛で埋めてもらいたいなどと書いてある。普通じゃあ我輩のような考えになるのじゃあないか。しかも駅舎があまりにも面白くなくなっている。去年の3月15日に開業したんだと。駅らしさがどんどん失われていく危機感を感じるのだが。しかし、ホームも地下式通路も我輩が知った何十年も前と同じなのだがな。
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咸宜園(かんぎえん) 広瀬 淡窓 天明2年4月11日(1782年5月22日) - 安政3年11月1日(1856年11月28日)は、江戸時代の儒学者で、教育者、漢詩人でもあった。豊後国日田の人。
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私塾 塾生は4000人を数えるということだ。