ほんの目と鼻の先の関係が端山古墳とこの築山古墳であり、前者は四世紀初め、後者は四世紀末、しかも大和政権とつながりが深い。ここではある程度の歴史が古墳を通して見ることができるのではないか。
ほんの目と鼻の先の関係が端山古墳とこの築山古墳であり、前者は四世紀初め、後者は四世紀末、しかも大和政権とつながりが深い。ここではある程度の歴史が古墳を通して見ることができるのではないか。
端山古墳(福岡県)
伊都国の後継であろうか・・・この地域を治めていた首長の墓であろう。一見大きな円墳に見えるのだが、4世紀初頭ころに築造され周濠を含めた100mほどの前方後円墳である。田や畑の中にランドマークの様に閑かに佇んでいる。良い光景だ。ここから玄海灘方向を望むと加也山が富士山の様に見える。
当該ブログの記事は平成26年(2014)3月4日から16日までである。
飯氏二塚(福岡県)
どうも私有地のようで足を踏み入れることが出来ないようだ。写真は後円部である。60m級の前方後円墳で、六世紀初頭に築造され糸島地域にあっては前方後円墳の終末にあたる。すぐ近くには半壊した円墳があるのだが案内どころなど無い。飯氏二塚もそうだがな。
当該ブログの記事は平成26年(2014)2月25日から3月3日までである。
兜塚古墳(福岡県)
国指定とはいうけれど管理されている訳ではない。石室すぐ上に大きな木があってその根っこが石室を抱き込んでいる。大風が吹くと木が揺れて大きく壊れる可能性がある。どうかしてもらいたいな。今宿グループの前方後円墳は3世紀初頭から6世紀半までの首長系の墓であり、時間系列として見ることが出来るのは珍しいと言っていい。ただ、ここまで辿り着くのは大変かもな。
当該ブログの記事は平成26年(2014)2月14日から24日までである。
丸隈山古墳(福岡県)
5世紀初頭に築造された前方後円墳である。写真を御覧になってお判りの様に小口の石を積み上げて石室を造っている。しかも二体分の石棺がある。追葬であればこの様な様式では無いだろうから首長とそれに近い者が同時期に亡くなったのだろうな。
当該ブログの記事は平成26年(2014)1月26日から2月13日までである。