
いつも見る柔らかな姿ではなく威容な姿である。前方部がなければ(上方下方墳の姿)殆どピラミッドである。最近発表され驚きで見たニュースで奈良県明日香村にある飛鳥時代初期(6世紀後半)の都塚(みやこづか)古墳が国内に例がない階段ピラミッド状と判明し、馬子の父稲目(570年没)の墓との見方もあるとして興味深く見ていたが、これは見方によってはペルーのピラミッドだな。

横隈山古墳(福岡県)
5世紀初頭に築造された30m超の前方後円墳である。主体部は恐らく竪穴式石槨と思われるが抜かれているため確認は出来ない。説明によれば帆立貝式とある。説明を読めば読むほど古い時代からこの地が栄えたことが判る。魏志倭人伝に記されている国の一つと言っても過言ではなかろう。思い込みかな。そうそう、階段を上がった真正面に櫨があるから気を付けるように。下手して触ろうものならカブレるぞ。あまり近くにも寄らないようにね。我輩は一度カブレたことがあって大変だったからな。 以前訪れたことがあるがその時は全くもっての地肌しかなくこんなにも鬱蒼としたのかと驚いている。地肌だけの方がよく判るのは当たり前だからな。その時の写真は「横隈山遺跡公園」にアップしているので比較してもらいたい。 2013-12-31に訪れた時の状況をアップしておこう。主体部が抜かれているのがお判りになると思う。同じところなのかと見まがうかもしれないが、こんなにも変わるんだぜ。
当該ブログの記事は平成27年(2015)2月16日から20日までである。