日本が戦後なんとか独立国として遣って来れたのは米国のお陰だと云うのが大方の見方です。
いや日本が是まで来たのは不戦の誓いで世界の紛争に直接関わらなかったからと云う説も
ありますね。
一理はあります、しかし日本が米国の核の傘の元保護されて居なかったら果たして今日の
日本があったかと云えば其れは大いに疑問です。
日本が戦後軍備に走らず経済復興に力を入れた結果世界経済大国と云われる程になった
のは間違いない事実です。
良い意味でも悪い意味でも米国と云う保護者が居ての日本だった。
人は成人すれば一人で勝手に育ったと思い勝ちですが、是は親の保護や周りの支援があって
始めて生きて来られるものです。
勿論日本国民の血の滲むような苦労があっての今日です。
さて現在日本は集団的自衛権行使問題で大きな岐路に立たされて居ます。
日本の事だけ考えて居ればよいのか?
其れとも国際社会の一員として他国の事も考えるべきか?
日本は何時までも傍観者で居られるかが問われてます。
是は又國か個人か?個人の幸福優先国家優先かにも関わって来ます。
個人はだれにも邪魔されず幸福追求する権利があって國は束縛すべきではないと云う説。
國は国民の生命・財産や幸福追求を守る義務があります。
当然國のためなら個人が規制されても仕方ないと云う説。
そのため國の防衛とか他国の事も関係してきます。
だが國のため何時も犠牲になるのは国民だと決まっています。
国民の財産生命を守るため國の防衛や他国との同盟は必要だと云う政府。
二度と國の云う通りになって犠牲になるのは御免だと云う国民。
國が無くても生きて行けると云う説。
しかし國なくしては国民はない。過去の流浪の民がよい実例です。
日本人は平和ボケで防衛に関しては無関心これではやがて日本は滅びると云う人。
そうならないためには最低限の防衛は必要と主張する政府。
イヤ其れは方便で遣り方さえ間違えないなら日本がちゃんと残る。
防衛は必要無いと云う説。
色々あって本当にどうしたらよいのか迷ってしまいますね。