ヘミングウェイ 福田恆存訳 昭和41年新潮文庫版
きのうからのつながりとして、フィッツジェラルドを出したら、ヘミングウェイかなと。文学史的には「ロストジェネレーション」とかいうんでしょ。文学史なんて、まったく興味ないけど。
村上春樹の『フィッツジェラルド体験』によれば、フィッツジェラルドが『夜はやさし』を出したときに、ヘミングウェイは「君はあまりにも自分を憐れみすぎている」と手紙送って批判したそうですが。
また、フィッツジェラルドはヘミングウェイのことを、「アーネストは牡牛で、僕は蝶だ。蝶は美しい。しかし牡牛は存在する」と評したそうですが。
ちなみに、村上春樹は何かに、小説というのは自分の想像力から生み出すものであり、経験を書こうとするとヘミングウェイみたいに果ては戦争にまで出かけて行ってネタを探すようになる、みたいなことを書いてたような気がします。ちょっと正確な出典忘れたけど。
で、私が持ってるこの文庫本は、昭和60年の60刷。例によって、いろんなもの熱心に読んでた十代後半の時期に読んだんでしょう。
でも、例によって、あんまり感心したおぼえがない 名作とかなんとかいうのと、私の好みとは一致しないものなのかもしれない。
きのうからのつながりとして、フィッツジェラルドを出したら、ヘミングウェイかなと。文学史的には「ロストジェネレーション」とかいうんでしょ。文学史なんて、まったく興味ないけど。
村上春樹の『フィッツジェラルド体験』によれば、フィッツジェラルドが『夜はやさし』を出したときに、ヘミングウェイは「君はあまりにも自分を憐れみすぎている」と手紙送って批判したそうですが。
また、フィッツジェラルドはヘミングウェイのことを、「アーネストは牡牛で、僕は蝶だ。蝶は美しい。しかし牡牛は存在する」と評したそうですが。
ちなみに、村上春樹は何かに、小説というのは自分の想像力から生み出すものであり、経験を書こうとするとヘミングウェイみたいに果ては戦争にまで出かけて行ってネタを探すようになる、みたいなことを書いてたような気がします。ちょっと正確な出典忘れたけど。
で、私が持ってるこの文庫本は、昭和60年の60刷。例によって、いろんなもの熱心に読んでた十代後半の時期に読んだんでしょう。
でも、例によって、あんまり感心したおぼえがない 名作とかなんとかいうのと、私の好みとは一致しないものなのかもしれない。