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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

ぼくが電話をかけている場所

2010-02-12 21:10:39 | 村上春樹
レイモンド・カーヴァー 村上春樹訳 昭和61年 中公文庫版
はい、フィッツジェラルド同様、村上春樹の翻訳で、当時読んだレイモンド・カーヴァー。
私がカーヴァーを読んだ最初がこれです。
いまもそうだけど、どこがいいのかよくわからない、ぢゃないな、どこがいいのかハッキリ言うことができない、短編小説の数々。
でも読みだすと、ついつい読み進んぢゃうところがあります。これは、村上春樹がいいと言ってるからいいんだろう・いいと思わなければ!、みたいな自分への脅迫感とかは無しに、ふつうにそう思います。もっとも他の人が訳して、もうちょっとゴジゴジした日本語だったらどう思ったか知らないけど。
巻末の訳者あとがきに、カーヴァーの小説作法があげられています。これは興味ぶかい。
かつて私がかなり出来の良い短編を書いた時、最初私の頭の中には出だしの一行しか浮かばなかった。何日間か私はその一行を頭の中でこねくりまわした。『電話のベルが鳴った時、彼はちょうど電気掃除機をかけているところだった』という文章である。私はこの一行の中にはストーリーがつまっていて、外に向けて語られたがっている、と思った。私はそこには物語があると骨の髄にまで感じた。時間さえあれば、それを書くことができるのだ。そして私は時間をみつけた。まる一日あればいい。十二時間か十五時間でもいい。うまくやれば、それで間にあう。私はそれで、朝机に向い、最初の一行を書く。それにつづく文章が次から次へと浮かんでくる。私は詩を書くのと同じようなかんじで短編を書く。一行ができて、その次の行が浮かぶ。まもなく物語が見えてくる。それは私がずっと書きたいと望んでいた私の物語である。
…だそうです。いいイマジネーションの紡ぎだし方ですね。うらやましくさえあります。
(なんか写してて、夏目漱石の「夢十夜」のなかで、運慶だか快慶だかが、木を彫って仁王像をつくるんぢゃなくて、木の中に埋まってる仁王像を彫りだすだけだ、って話を思い出してしまった。)
で、書かれている物語は、なんてことはないようでいて、リアルでもないし、まったくのおとぎ話でもない、不思議なものです。
いま改めて、パラパラとページをめくると、「あなたお医者さま?」の冒頭で、なぜだかわかんないけど主人公のところへワケわかんない電話がかかってくるとこが、「ねじまき鳥と火曜日の女たち」(=「ねじまき鳥クロニクル」)の冒頭とイメージが似てるなーと思ってしまった。私にとっては、早期にカーヴァーの短編に慣れていたことが、その後の村上春樹的世界に違和感なく入れる土台になってるのかもしれない。
収録作は
「ダンスしないか?」
「出かけるって女たちに言ってくるよ」
「大聖堂」
「菓子袋」
「あなたお医者さま?」
「ぼくが電話をかけている場所」
「足もとに流れる深い川」
「何もかもが彼にくっついていた」
コメント
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