いとうせいこう×岡崎京子 1992年 講談社
持ってる岡崎京子の単行本を、基本的には年代を追って、ずっと並べていきたいってのが、このブログのテーマのひとつではあったんだが、もうすぐ完了するかもしれない。
(と言いつつ、この夏、新刊が出るというウワサあり。…うれしい。)
前回の「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」は、マンガぢゃなくてヲカザキの散文集だったんだけど、もうひとつ変わったのがあった。
時代はさかのぼって1992年のものだけど、文を書くのがいとうせいこう、絵を描くのが岡崎京子という、「クールな共同作業、というのが本書のコンセプト」(冒頭のいとうせいこうの「本書のなりたち」による)って本。
この組み合わせに、本屋ではなかを見ずにすぐにつかんでレジに行ったと思います、私。
しかーし、おもしろいかといわれると、微妙な本です。
なぜなら、つくりがマンガぢゃないし、エッセイに挿絵をつけてるようなものでもないからです。
さきほどの「本書のなりたち」に、各話のつくりかたが説明してあります。
>絵を描く人は一話につき、基本的に一枚の絵を描きます。ただし、途中でコピーをしなければなりません。出来ればホワイトを使うことなく、完成に向かう過程をコピーすることで見せていきます。
>すると、一話分で十数枚の絵が出来上がります。絵を描く人は、まるでパラパラ漫画みたいに解体されたその絵を、黙って文字を書く人に渡します。
>今度は文字を書く人の作業です。順番を変えないままで、その十数枚の絵に文字をつけていかなければなりません。物語でも詩でもエッセイでも、形式は自由です。
一話 救世主クロエ
二話 ミルとミズ
三話 バラバラな宇宙
四話 明るい部屋
五話 彼らは
六話 目玉狩り
七話 電話
持ってる岡崎京子の単行本を、基本的には年代を追って、ずっと並べていきたいってのが、このブログのテーマのひとつではあったんだが、もうすぐ完了するかもしれない。
(と言いつつ、この夏、新刊が出るというウワサあり。…うれしい。)
前回の「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」は、マンガぢゃなくてヲカザキの散文集だったんだけど、もうひとつ変わったのがあった。
時代はさかのぼって1992年のものだけど、文を書くのがいとうせいこう、絵を描くのが岡崎京子という、「クールな共同作業、というのが本書のコンセプト」(冒頭のいとうせいこうの「本書のなりたち」による)って本。
この組み合わせに、本屋ではなかを見ずにすぐにつかんでレジに行ったと思います、私。
しかーし、おもしろいかといわれると、微妙な本です。
なぜなら、つくりがマンガぢゃないし、エッセイに挿絵をつけてるようなものでもないからです。
さきほどの「本書のなりたち」に、各話のつくりかたが説明してあります。
>絵を描く人は一話につき、基本的に一枚の絵を描きます。ただし、途中でコピーをしなければなりません。出来ればホワイトを使うことなく、完成に向かう過程をコピーすることで見せていきます。
>すると、一話分で十数枚の絵が出来上がります。絵を描く人は、まるでパラパラ漫画みたいに解体されたその絵を、黙って文字を書く人に渡します。
>今度は文字を書く人の作業です。順番を変えないままで、その十数枚の絵に文字をつけていかなければなりません。物語でも詩でもエッセイでも、形式は自由です。
一話 救世主クロエ
二話 ミルとミズ
三話 バラバラな宇宙
四話 明るい部屋
五話 彼らは
六話 目玉狩り
七話 電話