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またまた武澤さんの本を読んだ。先日の曼荼羅の本とややかぶる部分もあるが、武澤さん独自?の理論を、次から次へと展開されていて、読者を飽きさせない。
どこまでが独自の理論で、どこまでが、みな知っていることなのかの区別が判然としないのだが、一番新鮮だったのが、多宝塔の姿は、空海のアイデアだったということ(説?)だ。
元々インドでは、土饅頭のような姿だったのが、中国でぶっとい塔という形になった。そして、法隆寺の五重塔に代表される、もっとスマートな洗練された姿になったのだが、空海が中国留学で、本来のインドでの仏教の姿に触れ、日本で、このような和印折衷の姿を生みだしたというのだ。
確かに不思議な姿だ。
私も、いろんなところで、ストゥーパ=卒塔婆=塔を見てきたから、いつか、その変遷を語ってみたいものだ。
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この二つの塔は、高野山にあるもの。大塔の方は、コンクリート製の再建だが、空海の思想が十分には反映されていないと武澤さんは見る。下のは、その隣の金剛三昧院の多宝塔だが、鎌倉時代のものだ。大塔と多宝塔の違いは、柱間の数が3(柱は4本)か5(柱は5本)とのこと。知らなかった。
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この塔は、東寺で、やはり当初空海が建てたもの(もちろん再建だが)。空海の思想は、その外見には表れていないが、それは、宮寺ということで、空海の考えが入れられなかったためで、塔の中には、空海の思想がしっかり反映されているという。私も冬に訪れたので、塔の中に入る機会に恵まれた。
この建築様式や、曼荼羅の姿から、その時の思想や背景を推理(失礼!分析)するという手法は、ユニークだ。武澤さんならではだろう。
今スマスマで、マイケルが訪れた時の再放送をやっている。マイケルは、ちょっと不思議な雰囲気だが、すごく楽しそうだ。もう亡くなってしまったというのは、やはり信じ難い。