かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

ビートルズにいちばん近い記者

2010年10月03日 | The Beatles

fuji今日は、ゴルフだった。しばらく雨の予報だったので、心配していたのだが、最高の秋晴れになってラッキーだった。
富士山も頂上までくっきり見えた。全ホールから富士山が見えるすばらしいコース。何故、富士山を気にするかというと、富士山に近いゴルフ場は、芝目が、普通は、富士山側から順目になっているので、常に、どちらに富士山があるかを確認するからなのだ。だからと言って、パット数が減った自覚はないのだけど。



ミュージックライフの編集長だった、星加ルミ子さんの半生記が出た。淡路さんという同業者によるものだが、星加さんが、他人に伝記を書いてもらうまでになったかと思うと、感慨深い?

星加さん自身の本は、他にも読んだことがあったが、本書が一番面白い。
今だから話せる話が加えられていることや、ビートルズ以外にも、いろんな外タレの日本との橋渡しを行っていたことや、洋楽を日本へ輸入した貢献等、今まで知らなかった星加さんの素顔が明らかになっている。

特に、初めてビートルズに会いに行く時に(出発時には、会えるかまだわからなかったのは既に有名な話)、本物の日本刀を機内に持ち込んで(もちろんお土産)、ロンドンまで運んだ話などは、本邦初公開だろう。これが、効いてビートルズに会えたと言っても過言ではない。この日本刀を、まずマネージャーのブライアンエプスタインに渡したのが効いたのだ。ブライアンエプスタインは、たまたま黒澤監督の、七人の侍のファンであったという。

当時、まず、音楽雑誌というものも確立されておらず(もちろん洋楽専門のものなどなかった)、その英語もろくに話せない記者が、当時海外渡航も珍しかった時代に、ロンドンに取材に行くなど、前代未聞のことだったという。
その後、星加さんは、何度かビートルズに会えているのだが、アップル屋上での最後のゲリラライブの時にも、ロンドンにいて、アップルビルの下から演奏を聞いたのだそうだ。

当時は、洋楽を日本語版にして、日本の歌手が歌うというのが、よくあったが、いい歌を探してきて、翻訳して、日本の歌手に歌わせたのも、星加さん。

とにかく、極東の日本と海外の距離がとんでもなく遠かったこの時代、日本の音楽ファンにとっても、海外のミュージッシャンにも、星加さんは、貴重な存在だったし、日本の音楽文化の発展に対する貢献も極めて大きかった。
星加さんがいなかったら、ビートルズが、日本公演に来る気になったか疑わしい。

コメント
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