またまた出たビートルズ本だが、これは、なかなかの本だ。
「研究という代物は、一つの現象を解明したいという知的欲求に突き動かされてするもので、その解明のために、客観的証拠を積み上げていく作業である。そして、最後にその膨大な数の客観的証拠の上に主観的提言を一つ二つ載せて完成となる。」
と著者は、後書きで述べているがその通りの本である。山口大学の教授による本。
いまさらながら、ビートルズ誕生の、必然と偶然に驚かされる。ビートルズの誕生において、リヴァプール、ハンブルグ、ロンドンでの活動は、偶然でもあったし、必然でもあった。
新書版の中に、これだけ、コンパクトに、効率的に事実を濃縮した作者に拍手である。
最後の東京は、おまけみたいなものだが、その中にも、作者の洞察が披歴されている。東京が取り上げられたのは、ビートルズの社会的メッセージを受けた都市の一例としてであり、作者がリアルタイムでそれを受け取った一人であるからという。
本書での一番の発見は、リヴァプールの特殊性かもしれない。16世紀には、人口1000人に満たない小都市だったが、奴隷貿易で大発展し、その交換で、砂糖、綿花が大量に入ってきた。まさに西欧が世界を支配した時期の中心の港だった。ビートルズの4人の内3人がアイリッシュだが、そのアイリッシュが多い町でもあるし、4人の親の職業も、このリヴァプールの特性にマッチしたものだ。アメリカの最新の音楽にも触れることができたというのは、よく言われている。
ハンブルグは、やはり港町だが、リヴァプールでは稼ぐ場所がなく、リヴァプールのバンドが200も、ハンブルグに出稼ぎに行っていたという。第二次世界大戦からの復興も、ハンブルグの方が、リヴァプールよりも早かったというから皮肉なものだ。そして、このハンブルグ時代にビートルズが完成した。ハンブルグには、イグジズファッションが流行っていて、ビートルズもそこで、その流行を取り入れたスタイルを確立した。ハンブルグは、戦勝国のリヴァプールよりも、文化的には、ずっと進んでいたのだ。
ロンドンに戻って、ビートルズは、世界に羽ばたくのだが、本書は、ロンドンのことは、あまりよく言っていない。日本でいえば、日本の地方の大都市出身者が、地元でメジャーになり、東京で、日本のスターになり、世界のスターになる?という構図があるが、やはり地元が重要というのと一緒の感覚だろう。4人の伴侶についても、ロンドンvsリヴァプールの構図が見え隠れする。
東京の章は、著者が日本人だから書かれたとも言えるが、ビートルズの海外ツアーの中で、特にユニークなものであったからということも言える。あの短いグローバルな活動期間に日本で、コンサートをしたというのは、奇跡に近い。
著者は、日本側は、ビートルズ公演を、オリンピック以来の国民的行事に仕立てたという。今となってはそうだが、当時それだけの話だったのかは、小2だった私にはわからない。
そして、あの過剰警備は、70年安保の予行演習だったという。60年安保では、闘争で死傷者が出て、アイゼンハワー大統領の来日が中止になったという事件があり(知らなかった、今の中国並?)、その二の舞を避けるため、予行演習をしたというのだ。
ビートルズが、何故日本公演をしたかというのには、諸説あるが、本書では、日本が亜細亜で唯一中・高生のお小遣いでビートルズのレコードが買えた国という経済的事情(当時、香港は、イギリス領、シンガポールは、マレーシア連邦から都市国家への移行期)と、ブライアンエプスタインが、ビートルズに、コンサート活動を続けさせるための妥協案と、分析をしている。たぶんそうだろう。
佐藤首相も「ビートルズ警備で頭が痛い」と発言したとか。武道館を使わせるかでまた大騒ぎになったが、「女王から勲章を授けられた英国の国家的音楽施設」ということで、決行されることになった。なにもかもが、ハプニングだ。
「ビートルズ東京公演を一言で、表現すれば、現存する体制を国家権力で維持しようとする勢力と芽生え始めた変革への意識とのせめぎ合いの場であったといえる。」
流石、大学教授!思わず肯いてしまう。
インテリ、ジャパニーズ、ビートルズマニア?の一書として、文化人を自負するみなさんに、お勧めする。