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講談社さんの興亡の世界史シリーズも、遅れに遅れたが、これが最終巻。
満州国の話かなと思っていたのだが、岸信介と、朴正煕を主人公とした、現在の東アジアの創世記の物語といった方が合っている。
この辺の話は、高校の授業では、時間切れでほとんど習っていないし(もちろん先生にもよるだろうが)、今の東アジアの基礎になっているところだから、もっと研究が進められて、これからの東アジアの安定のために、反面教師という面もあるが、皆勉強していくべきだろう。
”生命線満蒙を守れ”は、1931年に提唱されたが、この言葉は、岸信介の叔父である松岡洋右のものだそうだ。日本は、帝国主義化を勧め、いつの間にか、この生命線が、事実上の「主権線」になった。そして、韓国は、満州と一体となった「満鮮」として、日本帝国の空間の中に位置づけられた。今の中国における内モンゴル、チベット、ウィグルのようなものか。
満州国は、関東軍に牛耳られる日本の傀儡国家であったが、その正当性を主張するため、日本・朝鮮・漢・満州・蒙古の五民族が順天安民と民本主義に基づいて共存し(五族協和)、欧米帝国主義の派遣主義に対抗して東洋政道徳を打ち立て、安居楽業の理想郷を実現(王道楽土)することになるという「世界政治の模型」という理念を打ち出した。
そして、満州は、日本にとっても、朝鮮にとっても、理想郷のような、満州に行けばどうにかなるという風潮を造り出した。
そして、そこで辣腕を奮っていたのが、岸信介であり、朝鮮から、満州を目指したのが、朴正煕であった。岸は、満州国を、自らの作品とまで豪語したという。
戦後の韓国を支配した、朴正煕は、何と陸軍士官学校を経て、関東軍で中尉にまで上り詰めた。
満蒙は、「朝鮮の防衛」を全うするとともに、「露国の東漸」を牽制し、「支那に対し力強き発言権」を発揮するために不可決な「帝存立」の要石とみなされていた。
満州は、在満朝鮮人には、「東洋のエルドラド」であると同時に、多面では日本の特殊権益、ひいては朝鮮統治を揺るがしかねない「反日運動の策源地」でもあった。このイメージは、なかった。「東洋のバルカン」だったはずなのに、いつの間にか、「東洋のエルドラド」になっていたのだ。
満州には、日本の企業が続々と進出し、一大コングロマリットを作りあげた。その中心となっていたのが、「二き」(東条英機、星野直樹)と、「三すけ」(岸信介、松岡洋右、鮎川義介)であった。
朴は、敗戦で帰国し、共産主義にも加わり、粛清されそうになるが、軍に全面的に協力し、免れ、一旦文官となるが、朝鮮戦争で、また軍人になった。
何という運命の綾なのだろう。
岸も戦犯として収監されたが、その後驚異的なスピードで、政界での地位を高めていった。
岸と、朴は、戦前の経歴に強い郷愁といだいていた。満州への憧れと、満州での修羅場をくぐり抜けてきた共通体験だ。そして、二人は、肝胆相照らす仲になった。
その後、朴が、軍事クーデターを起こし、政権を握り、長期政権化するにつれ、独裁化したのは、よく知られるところである。
朴は、マクベス的な最期を迎え、岸は、91歳で大往生した。
戦後日本と、戦後韓国の指導者に、こんなつながりがあったとは、全く知らなかったし、今の東アジア、ロシア、アメリカと、微妙な駆け引きを必要としている日本は、この歴史を深く理解していないければ、ならないだろう。