

百寺巡礼の、関東・信州シリーズは、流石に、行ったことがあるお寺が多い。その中でも、鎌倉のお寺は、昔住んでいたので、ほとんど庭の感覚だ。
高徳院は、鎌倉の大仏様があるお寺。そして、高徳院の章は、大仏坂の切通しの話から、始まる。実は、この切通しには、縁が深い。切通しの入り口に近いところに、古い体育館があって、そこで、剣道を習っていたのだ。
小学生だった頃の話。冬などは、寒くて、手などは、しもやけで、傷だらけだった。
八幡宮での、奉納試合に、出たこともある。鎌倉幕府があった町だけあって、剣道は、盛んだった。
この切通しにもチャレンジしたことがあったが、笹に覆われて、ほとんど道がわからない状況で、不安になったのを覚えている。五木さんも、不安になったようだ。途中で、引き返したとある。
鎌倉の大仏は、謎に包まれている。鎌倉時代に造られたと考えられているが、その前に、木像の仏像が造られたらしい。大仏造立に貢献した浄光という僧侶もよくわからない。こんな大きな仏様なのに。
永井路子さんは、北条氏が、三浦氏を滅ぼしたころなので、その鎮魂が目的ではなかったかと推理する。頼朝が、東大寺の大仏に匹敵する大仏を、鎌倉に造りたかったという説もあるという。五木さんは、名もない庶民のの汗と涙の結晶の大仏だから、記録に残らなかったと推理する。謎が、謎を呼ぶ。
鎌倉の大仏が、露座になっているのは、建物が大津波で、崩壊したためというのは、よく知られている。ただ、元禄時代の大地震で、大損害を受けたのは、知らなかった。その大仏が、復興された時に、高徳院になったという。大仏は、建長寺や、長谷寺の預かりになっていたが、その後、材木座の光明寺の奥の院になり、復興を進めたそうだ。今は、独立したが。
高徳院は、浄土宗のお寺で、大仏様は、阿弥陀如来である。
また、訪れたくなった。
日本の三大大仏の話も、出てきたが、やはり先日訪れた、高岡の大仏が入っている。
奈良、鎌倉と比較すると....ではあったが。