関西のお寺は、奈良・京都・滋賀を除いて、ほとんど行けていない。
その中で、早く行きたいと思っているのは、熊野近辺のお寺。この前、和歌山に行った時も、ずいぶん宣伝していた。いろんな歩き方があるみたいだ。
その中でも、まず訪れてみたいのが、青岸渡寺(せいがんとじ)。といっても、学生時代に、南紀白浜のテニス合宿の帰りに、那智の滝に寄ったから、その時、通っているはずなのだが。
那智の滝をバックに、昭和47年に再建された三重塔が見事という。今は、お寺になっているが、元々は、熊野那智大社と一体で、那智権現として栄えていた。熊野那智大社の如意輪堂が、青岸渡寺になったそうで、その名がついたのは明治時代というから、熊野の長い歴史に比べれば、ごく最近のことだ。
平安時代の後白河法皇は、34回も詣でたというから恐れ入る。都から、往復一か月かかったというから、それだけあり難い神聖な場所だったことがわかる。
もっと遡れば、神武天皇が、東征で、南九州から第一歩を印したところが熊野と伝えられている。今の日本の始まったところという訳か。
この章で、もうひとつ印象深いのが、青岸渡寺から海に向かったところにある補陀楽山寺(ふだらくさんじ)の話。ふだらくは、梵字のポータラカ、つまり観音様が住む南インドの伝説上の山の名前。那智の山は、ポータラカに近い場所と思われていた。
そして、有名なのが、補陀楽浄土に往生しようとする信仰。補陀楽渡海といって、釘で打ちつけられた棺のような船で、多くの僧侶たちが、海=補陀楽浄土に送り出されて行った。イエズス会の宣教師も、この信仰のことを、本国に報告していたという。それだけ、不思議な信仰に映ったのだろう。
この話をどこかで聞いたことがあると思ったら、井上靖さんの短編小説だった。五木さんが、ちゃんと思い出させてくれた。
日本には、山に浄土があるという信仰と、海の彼方に浄土があるという信仰があり、その両方が熊野にはある。そして、マルローが、空に向かってそそり立つ白い剣と絶賛した(それに比べれば、ナイヤガラの滝は、ダムのようなものだと言ったという)那智の滝。
今流に言えば、完璧なスピリチュアルスポットだ。