かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

シュリーマン直筆幕末日記

2021年02月07日 | Yokohama ( Japan )
今日は、ぽかぽか陽気の中、ゴルフだった。
スコアいまいちながらも、楽しかった。



本書は、3年前ほど前、新聞に載って、横浜ユーラシア文化館に行ったついでにゲットしたが、積読になっていた。

読んでみたら、たいへん面白かった。

シュリーマン旅行記は既に読んだが、本書の方が、直筆日記のコピーと共に、リアルに訳されていて、手触り感が強い。
1865年に1ヵ月だけの滞在だったが、できる限りの見聞をし、記録に残した。

シュリーマンはトロイの遺跡発掘者として有名で、大学の面接試験で、尊敬する人として、上げたぐらいだ(たぶん小学生ぐらいの時に読んだ本の記憶が鮮明だったのだろう)。
ただ、その前に、世界を漫遊し、日本にも訪れていたことは最近知った。

横浜に滞在し、日本の風俗や、街の様子に感激するのだが、江戸や八王子にも足を伸ばし、詳細な記録を残している。
外交官ではないので、樺lなしの記録と言えるので貴重だ。
家持が京に向かう行列を見たり、江戸にある欧米各国の大使館を訪問したり。
しかし、当時は、攘夷の動きが活発で、護衛を5人つけての江戸見学。
宿泊所も、毎日変わる暗号で、出入りするなど、命がけだった。

善福寺、東禅寺、浅草寺、団子坂、越後屋、加賀屋敷など、今も知られる名所を探訪。
団子坂の近くに昔住んでいたのだが、植木屋が多いことで有名だったのは知らなかった。
江戸にある各国大使館は、危険で、ほとんどの人は、そこにすでに住んでいなかったという。
東禅寺は、イギリス大使館だったが、二度の襲撃に遭い、すでに荒れ果てていたのだという。

日本の庶民の文化、暮らしに、偏見なく目を見張っている様子は、読んでいて、気持ちいい。
そのような性格だったからこそ、あのような大発見ができたのだろうか。

江戸末期の日本の様子を、垣間見たいい人にお勧め。
澁沢栄一が、尊王攘夷に傾いていた時期にも、被る。
コメント
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