今日は、日中、春みたいな天気。
満を持して、積み残し中だった、南房総一之宮巡りを敢行。
南風が強すぎた以外は、素晴らしい1日だった。
まずは、茂原の橘樹神社(たちばなじんじゃ)。
上総国二之宮。
アクアラインから行こうと思っていたのだが、ナビで、湾岸経由と出たので。
どっちがよかったのだろうか。
河津桜?
祭神は、弟橘比売命。
ヤマトタケルが、東夷征伐の際、海が荒れ、弟橘比売命が身を投げ救ったという伝説に基づく神社。
漂着した遺物の櫛を墓に納め、墓標代わりに橘の木を二株植えたのが、起源という。
次に訪れたのが、玉前(たまさき)神社。
上総国一之宮。
珍しく、黒塗りの拝殿。
御祭神は、玉依姫命(たまよりひめのみこと)。
海幸彦、山幸彦の伝説からつながる。山幸彦の子の妻で、神武天皇の母となる。
ただ、戦国時代に神社は荒れたため、資料が多く焼失したという。
裸足で、一周すれば、願いがかなうというが......
館山に向かって、南下していたら、途中で、保田(ほた)小学校の看板を見つけたので、ちょうどお昼時でもあったので、寄ってみた。
一旦、高速を降りて、料金がどうなっているのか、ETCでわからないのだが。
保田小学校が廃校になり、道の駅として再活用した話は、テレビで見たことがあったが、大人気。
地元にも、観光客にも受けている。
保田小給食。
ハムカツ、クジラの竜田揚げ、カレーシチュー、赤いウィンナー、たまごやき、ぴーみそ......
右上は、大学いも。
なんで大学いもと呼ぶのだろう。
椅子ってこんなに小さかったか?
二宮金次郎は、どの小学校にもあった。
体育館は、土産売り場に。
こちらも、大盛況。
小学校校舎の原型をなるべく残し、すばらしい施設に生まれ変わっていた。
洲崎(すのさき)神社は、東京湾に突き出たような岬にある。
150段近くある階段を登らないと、たどりつかない。
厄払坂というらしく、ちょうど良かった?
安房国一之宮となっているが、安房神社も一之宮を名のっており、両方とも一之宮としておこう。
春が一番早く訪れる地域で、ここも桜が咲き誇る。
拝殿は、こじんまり。
天比理乃●(日編に、羊)命(あめのひりのめのみこと)を主神とする。
神武天皇の時代、安房忌部一族の祖天富命が四国の忌部族を率いて房総半島を開拓されたため忌部の総祖神天太玉命の后を祀ったという。
源頼朝が石橋山の合戦に敗れて、房総の地に逃れてきた時に、最初に参拝し、再興を祈願したのもこの神社という。
元祖神田明神とも言われており、東京湾一帯に、分霊を奉斎する神社が数社あるという。
富士山遥拝初もあり、流石の神社だった。
満を持して、積み残し中だった、南房総一之宮巡りを敢行。
南風が強すぎた以外は、素晴らしい1日だった。
まずは、茂原の橘樹神社(たちばなじんじゃ)。
上総国二之宮。
アクアラインから行こうと思っていたのだが、ナビで、湾岸経由と出たので。
どっちがよかったのだろうか。
河津桜?
祭神は、弟橘比売命。
ヤマトタケルが、東夷征伐の際、海が荒れ、弟橘比売命が身を投げ救ったという伝説に基づく神社。
漂着した遺物の櫛を墓に納め、墓標代わりに橘の木を二株植えたのが、起源という。
次に訪れたのが、玉前(たまさき)神社。
上総国一之宮。
珍しく、黒塗りの拝殿。
御祭神は、玉依姫命(たまよりひめのみこと)。
海幸彦、山幸彦の伝説からつながる。山幸彦の子の妻で、神武天皇の母となる。
ただ、戦国時代に神社は荒れたため、資料が多く焼失したという。
裸足で、一周すれば、願いがかなうというが......
館山に向かって、南下していたら、途中で、保田(ほた)小学校の看板を見つけたので、ちょうどお昼時でもあったので、寄ってみた。
一旦、高速を降りて、料金がどうなっているのか、ETCでわからないのだが。
保田小学校が廃校になり、道の駅として再活用した話は、テレビで見たことがあったが、大人気。
地元にも、観光客にも受けている。
保田小給食。
ハムカツ、クジラの竜田揚げ、カレーシチュー、赤いウィンナー、たまごやき、ぴーみそ......
右上は、大学いも。
なんで大学いもと呼ぶのだろう。
椅子ってこんなに小さかったか?
二宮金次郎は、どの小学校にもあった。
体育館は、土産売り場に。
こちらも、大盛況。
小学校校舎の原型をなるべく残し、すばらしい施設に生まれ変わっていた。
洲崎(すのさき)神社は、東京湾に突き出たような岬にある。
150段近くある階段を登らないと、たどりつかない。
厄払坂というらしく、ちょうど良かった?
安房国一之宮となっているが、安房神社も一之宮を名のっており、両方とも一之宮としておこう。
春が一番早く訪れる地域で、ここも桜が咲き誇る。
拝殿は、こじんまり。
天比理乃●(日編に、羊)命(あめのひりのめのみこと)を主神とする。
神武天皇の時代、安房忌部一族の祖天富命が四国の忌部族を率いて房総半島を開拓されたため忌部の総祖神天太玉命の后を祀ったという。
源頼朝が石橋山の合戦に敗れて、房総の地に逃れてきた時に、最初に参拝し、再興を祈願したのもこの神社という。
元祖神田明神とも言われており、東京湾一帯に、分霊を奉斎する神社が数社あるという。
富士山遥拝初もあり、流石の神社だった。