今日は、3.11。
まだ5年か、もう5年か。
帰宅難民で、翌日やっと帰宅したら、また電車が不通になり、月曜も出勤できなかった。
その間、原発は、メルトダウンとなり、まだ、先が見えない。
一方で、再稼働も始まっており、これでいいのか?
今日は、星加さんのトークイベント3回目。
ついに、満席になった。
2時間×6だから、トークイベントとしては、空前絶後?
主催者も、びっくりだろう。
まずは、先日亡くなったジョージ・マーティンさんの話。
星加さんが会ったのは、最初にビートルズに会った65年と、67年の、フール・オン・ザ・ヒルのレコーディングに出くわした時。
1回目は、挨拶程度、2回目も、曲作りの初期段階で、ほとんど4人に任せきりで、途中で、タンバリンを叩きながら、ピアノの周りを、うろうろしたりもしてたけど、録音が始まったら、コントロールルームに、入ってしまったという。
だから、会話という会話はされていないが、4人に最初に会った時の印象を聞いたら、genius!と、答えられたそうだ。
イギリス人特有のユーモアだったのかも知れない。
そもそもこの67年の訪問が、何故、実現したのかの記憶は、曖昧だそうだ。デレクテイラーが、アレンジしてくれたことは間違いないが、ブライアンエプスタインのお悔やみの時に、その話になったのか、それとは別に面談を申し込んだのか。
マジカルミステリーツアーのロケが終わり、 4人がレコーディングに入っているという情報はあったという。
アビーロードスタジオに入ったら、誰もいなかったが、最初にポールが入って来て、くしゃくしゃのメモを、ピアノに置いて、何やら弾きだしたという。
そこに、知らない内に、ジョンが、入って来て、メモを、さらさらっと推敲し、ポールが、ベターと、答えたという。
まさに、フール・オン・ザ・ヒルの、原型が、できた瞬間だ。
間奏に何かの楽器を使おうという話になり、ハーモニカや、インドの楽器の名が挙がったが、リーダーにしようと決めたら、いろんなレコーダーが、5本ぐらいでてきたという。流石、アビーロードスタジオ。
ジョージと、リンゴも、出てきたが、自分のパートをどうしようか、それぞれ考えている風だったという。
4人へのお土産は、スタッフに任せたら、変なチャンチャンコで、心配したが、意外と似合って、ミュージックライフの表紙を飾った。 値札をその場で、慌てて、外したというから笑える。
その時、小野洋子さんが、スタジオにいたのだが、日本人かどうかもわからず、一言も会話しなかったという。
同じ日本人とわかっていたにもかかわらず、シカトされたことが、星加さんと、小野さんの、仲が悪いという伝説の始まりになった。
ただ、仕事場にプライベートを持ち込んで欲しくなかったポールが気に入らなかったことは、間違いないのだろう。
アンソロジーに、フール・オン・ザ・ヒルの、ポールのデモが、入っているが、星加さんは、星加さんが、目撃したセッションの後作られたものではないかという。
そして、星加さんが、フール・オン・ザ・ヒルに再会したのは、アルバムが、出た時になるのだが、素晴らしい曲に仕上がっていて、ジョージ・マーティンさんの、力を感じたそうだ。
これは、星加さんが、直接ではなく、4人に近い人から聞いたそうだが、フール・オン・ザ・ヒルのフールは、インドの修行の歳のグルーから着想を得ていて、実は、ワイズ(賢い)ということなのだそうが。賢者が、丘から、我々愚者と見下ろしている歌ということか。ポールが当時言っていたというから、かなり確度は高い。
後半は。ミュージシャンの、杉真理さんが、ゲスト。
結構年上だが、お若い。
最初に好きになった曲が、ロング・トール・サリーというから、小3だったと言えど、日本で、一番早くビートルズを聴いた方だろう。
中1の時が、来日だったというが、抽選に外れたと言う。
しかし、その後もビートルズを愛し続け、ミュージシャンになられた。
ギターを片手に、ビートルズの楽曲の特異性を話してくれた。
常識を超えたコード進行の連続で、それが、聴き手の耳から、離れない。
誰もが、経験したことだ。
1999年に、ジョージマーティンが、来日した時、金沢での、アマチュアバンドコンテストの審査員になり、その時、サインをもらった上に、ビートルズのアルバムの中で、好きなのは?と聞いたら、リボルバーとアビーロードと答えてくれたと言う。
杉さんは、ホワイトアルバムで、壇上の3人の意見が、一致していた。
小野洋子さんの声が、入っている部分以外という点も、満場一致。
杉さんは、小野さんと競演しているそうで(たぶん、ジョンレノン スーパーライブ) 小野さんの、例の叫びに、どう対応していいか、わからなかったという。
ブルー・ジェイ・ウェイパクリ説も、杉さん独自の説だが、説得力があったように思う。
最後は、マジカルミステリーツアーの日本放映を巡るドタバタ。
これは、本で、読んだことがあったが、杉さんと共に聞く生の話は、やはり迫力が違う。
日本での放映の話は、ファンの声に押されてのものだったという。
星加さんが、放映権買い付けのために、またまたロンドンへ。
まず、BBCへ行ったら、放映権は、ロン?(記憶が定かでない)という人が持っているという。
名前が、定かではなかったので、その後は、Mr. 大風呂敷になったが、大ヒット洋画が、放映できるほどの値段をふっかけられたそうだ。
一旦帰国し、半額にまけてもらえということになり、再度、ロンドンへ。
しかし、なかなかうまくいかず、一旦、EMIの、親しいディレクターに会いに行ったら、アップル社立ち上げの、準備を進めているということで、アップル社の新オフィスに行ったとのこと。
オックスフォード通りに面した半地下だったというから、私が、去年行ったオフィスの前の、オフィスなのかも知れない。
そこに、ジョージがいて、最初にアップルが契約するというドノバンを紹介されたという。
結局、最初の、契約アーティストにはならなかったが、インドに共に行くなど、親しい関係は続いた。
奥には、ジョンとポールがいて、事情を話したら、ポールが何やら電話をしてくれて、もう一度、Mr.大風呂敷を訪問してみろと言われ、訪問したら、トントン拍子に話が進み、TVの2回の放映、武道館での放映、3回の、CM放映の、権利を、1/10程度の値段で買い付けることが、できたという。ポールさまさまだ。
ジョンやポールとプライベートでの話が出来たのは、初めてで、ジョンは、星加さんが、自分より年上と知り、驚いたそうだ。日本では、こんな若い女性を働かせるのかと聞いてきたという。
しょっちゅう現れるので、ロンドン在住と会うたび感違いされたというのも、笑える。
マジカルミステリーツアーの、ロール4本を抱えて帰国したら、不二家がスポンサー、TVは、TBS、武道館の日程も押さえられていたという。不二家とのつながりは、その後も続く。
そして、最初の放送日、有名なロールの順番取り違え事件が起こる。
星加さんは、TBSの、お偉いさんと、見ていたが、気づかなかったという。
電話が、どんどんかかって来て、激励の電話かと思ったら、苦情の電話で、初めて知った。
何故、分かったのか不思議だったが、やはり、それを目撃した杉さんによれば、アルバムのブックレットに、ストーリーが載っていたので、ファンは、すぐ気づいたのだという。
おまけに、最後に、お詫びの、テロップと、再放送の予告が流れて、またびっくり。
でも、結局、2回目の放映で、お茶をにごしたというのが、真相らしい。
まさに、語り部からの真実。
今日も、貴重な話が、聞けた。
次回は、星加さんが採用し、2代後の、ミュージックライフ編集長になった、東郷かおる子さんが、ゲストだが、別用で、いけない見込み。
残念。

いよいよ、ビートルズの足跡を追いかける旅も終盤。
まず、かの有名なストーンヘンジへの半日観光。
まず、集合場所に行くまでがチャレンジング。
ネットで、予約して、集合場所に行くまでの道のりも、写真で、丁寧に説明されているのだが、なんせ、初めてなんで。

駅を降りてから、シンプルなんだけど、結構歩く。

で、集合場所行ったらこの人だかり。
さまざまなツアーの集合場所になっていた。
レセプションに行ったら、ネット予約済の人は、その看板の列に並んでいればいいとのこと。
参加者リストを持った係員が、後から、回ってきて、参加者用のリストバンドを配ってくれた。

で、バスでたらたら行ったら、順調にストーンヘンジに到着。
何もない草原だ。
ところが、休日で、客が想定を越えて、案内用の音声ガイドが品切れ。
パンフレットを見ながらの観光になった。
慣れてるんでいいんだけど、いきなりだったら、つらいかも。

ツーリストセンターは、遺跡からちょっと離れていて、そこからシャトルバスで、ストーンヘンジへ。
歩けない距離でもないが、ツアーの場合、時間制限があるので、素直にシャトルバスに乗る。
ほとんどの人は、マイカーで来てるみたいだったが、駐車場も待ち列ができていたので、いずれにしても、休日観光は、かなりの覚悟が必要か。

どんどん遺跡が近づいてきた。

柱状列石と言ってしまえばそれまでだが、誰が、いつ、何故?

いろいろ研究はなされていて、この周辺にも同様の遺跡が発掘されている。

遺跡の近くで、ピクニックを楽しんでいる人もいて、平和な空間だ。

夏至、冬至との関係を解く人もいるが、巨大な時計だったということなのか。

これと比較すると、縄文文化の先進性にイギリス人が着目するのも納得できる。

石の出処はわかっていて、こんな風に運んだのかな?

当時の人々は、こんな家に住んでいたらしい。
ランチも手軽にとれて、ロンドンからの郊外観光にはうってつけの場所だった。
ところで、ここが何故ビートルズ縁の場所かというと、Helpの戦車が登場する場面が撮影されたのが、この草原の近郊なのだ。
ちょっとマニアック?
ジョージマーティンさんの訃報が届いた。
ビートルズと共に、ビートルズの楽曲を作った方。
自ら、演奏もされている。
彼なしのビートルズは、ありえない。
ご冥福をお祈りする。

ロンドンに戻って、ホテルに一旦戻ってから、憧れのRonni Scott'sへ。
ロンドンでも有数のジャズクラブ。
ライブ盤も多数出ており、ECが、飛び入り参加したジェフ・ベックのCDが最近では印象深い。
日本から、ネットで申し込める。
本当に、便利になったものだ。
ホテルからタクシーで行ったが、ピカデリーサーカスを抜けて行くことになり、劇場や、映画館が連なる通りで、渋滞で、予想より時間がかかった。
時間には、間に合ったけど、本当は、早く行って、もっといい席を取りたかったんだよね。

何と、山中千尋さんが、このタイミングで、出演。
英語で、自身でMCされていた。
take 5 などの名曲から、ちょうど終戦の日で、星に願いをも。
ロンドンということで、ビートズルのBecauseも。
日本よりも、観客が、真剣に聴いているので、びっくりした。
これから八木節やりますというところで、時間があまりにも遅くなってしまったので(2nd Stageだった)、タクシーでまたホテルに戻った。
バスもあったのだろうが、夜遅くなると、治安の問題もあるし、足が気になる。

帰り際に、お土産に買ったCD。
ロンドンの夜を満喫したのは、この夜だけだったけど、West Endをちょっと体験できた。
ビートルズと共に、ビートルズの楽曲を作った方。
自ら、演奏もされている。
彼なしのビートルズは、ありえない。
ご冥福をお祈りする。

ロンドンに戻って、ホテルに一旦戻ってから、憧れのRonni Scott'sへ。
ロンドンでも有数のジャズクラブ。
ライブ盤も多数出ており、ECが、飛び入り参加したジェフ・ベックのCDが最近では印象深い。
日本から、ネットで申し込める。
本当に、便利になったものだ。
ホテルからタクシーで行ったが、ピカデリーサーカスを抜けて行くことになり、劇場や、映画館が連なる通りで、渋滞で、予想より時間がかかった。
時間には、間に合ったけど、本当は、早く行って、もっといい席を取りたかったんだよね。

何と、山中千尋さんが、このタイミングで、出演。
英語で、自身でMCされていた。
take 5 などの名曲から、ちょうど終戦の日で、星に願いをも。
ロンドンということで、ビートズルのBecauseも。
日本よりも、観客が、真剣に聴いているので、びっくりした。
これから八木節やりますというところで、時間があまりにも遅くなってしまったので(2nd Stageだった)、タクシーでまたホテルに戻った。
バスもあったのだろうが、夜遅くなると、治安の問題もあるし、足が気になる。

帰り際に、お土産に買ったCD。
ロンドンの夜を満喫したのは、この夜だけだったけど、West Endをちょっと体験できた。

大聖堂から、ホテル方向に降りて行った。
世界共通?の中華街が。

Yardbirdsってお店が。
入ってみたかったけど、時間の関係で、割愛。

Jacaranda Club, 23 Slater Street。
ビートルズが学生時代通ったお店。
その後、1960年当時、何度も演奏した。

Grand Central。

マージービート社が入っていたビル。
ここから、マージービート紙が、イギリス全土に発信された。
81a Renshw Street L1 2SJ

不思議なバー。
自由の女神。
ここは、ビートルズと直接は、関係ない。

一周して、ライムストリート駅に戻ってきた。
天気も完全に回復。

バグパイプ。
商店街は、お祭り騒ぎ。
気候の厳しい地域だから、夏をみな満喫している。

昔ながらのパブもまだ残っている。

リバプールの最後に、マシューストリートに戻ってきた。

JLの出身校、ビートルズの最初のバンド名"Quarry"にちなんだお店。

ラバーソウルバー。

Cavern Club は、いつも大人気。シラブラックさんへの追悼の花束も絶えない。

こちらは、行かなかったが、Cavern Pub。系列店だと思うんだけど、変な人が入ってこないように、門番?が。

ホテルにあったグッズショップ。
大きいが、グッズは、一般的。
前に紹介したTシャツをゲット。
店の名は、”Hard Days Night" Shop。
住所は、No.1 Mathew Street になっていた。

ライムストリート駅に戻ってきた。
各列車の停車駅が、表示されている。

駅構内の案内板。
ガラス越しに、Radio Cityのタワーが見える。

いよいよ、楽しかったリバプールともお別れ。

馬車道をまっすぐ行った万国橋の手前に、新しいチョコレート屋でできた。
ホワイトデー用に1セットゲット。

リバプール大聖堂に向かう途中にLIPAがあった。
PMが支援している大学。

そして大聖堂が。
とにかくでかい。
リバプールの丘にそびえ立っているので、どこからでも見える。
日本で言えば、お城の天守閣のよう。

相似形だが、入口はこちら。

巨大さがわかっていただけると思う。
世界的にも巨大さでは、ベスト3。
当時のリバプールの経済力の大きさがわかる。

ステンドグラスがこれまた見事。

この辺りが、中心部。
巨大なだけではなく、すごい建造物であることがわかる。

規模といい、繊細さといい、屈指の教会といえよう。

中心部の天井。

設計者の碑。
若き天才だったようだ。

正面。

ステンドグラス一つ一つが、巨大かつ繊細。素晴らしすぎ。

土産物屋も充実していて、こんなもん見つけてゲット。
と言っても、問題は、言葉使いより、発音なので、あんまり役には立たない。

丘の上にあるので、港のRoyal Liver Buildingもよく見える。