皆様、14期生 木村です。また、しばしお付き合いをいただけたら幸いです。
私事で大変恐縮ですが、この度、急きょ独立する運びとなりました。本日は、そのいきさつをお話しいたします。
私は、現在、青森に本社のある食品メーカーに勤めており、その東京事務所に勤務しています。
1か月ほど前までは、私ともう1名、若い2年目の男性社員が事務所におりましたが、彼が、突然個人的な都合で退職してしまいました。
ただでさえ人数が少ない状態でしたので、本社は東京事務所の維持は難しいと判断、やむなく事務所を閉鎖し、
本社への統合を決断しました。
当然会社は、私に本社への転勤を打診してきました。転勤というより、完全な移住で、生涯そちらで暮らすことになります。
ただ、ご存知の方もおられるかと思いますが、私は、東京出身で、家の事情もあり、一族郎党を引き連れての移住は不可能と判断しました。
これを機に退職を決断したのです。
「将来は独立」 と考えていたものの、この時点までは時期尚早と、全く準備をしていませんでした。
従いまして、つなぎで何か仕事をすることを考えておりました。
そんな矢先、何かのついでに私の退職の話をさせていただいた先生から、なんと、診断士としてのお仕事のご紹介があったのです。
本当に偶然、イレギィラーで 「1名のワクが空いたので、人を紹介してほしい」 という依頼が、その先生に舞い込んできたのです。
そして、一番最初に私へ声をかけていただきました。回答期限は3日間。お受けしなけば、他の方に話を回すとのことでした。
私は急いで本社と交渉し、2か月ほど2足のわらじを履くことの承諾を取り付けました。まさにラッキーボーイならぬ、 「ラッキーおやじ」 です。
それにしてもこの1か月間、本当に偶然の積み重ねでした。 若い社員が突然退職しなかったら、
本社が東京事務所の閉鎖を決断しなかったら、 私が先生に退職の話をしていなかったら、 1名募集のワクが無かったら、
その話が先生に来なかったら、 先生が一番に私へ声をかけてくださらなかったら、 会社が2足のわらじを承諾しなかったら、
・・・・・どれかひとつ欠けても、私の診断士独立はなかったと思います。
おそらく宝くじの1等を当てるより低い確率だったのではないでしょうか?
お恥ずかしながら、私は診断士試験の勉強に、10年もの月日を費やしてしましました。
試験に落ちるたび、いつも 「神様はたぶん 『お前はまだ人様の会社を診るのは早すぎる。もっと勉強しろ。』 と言ってくれたのだ。」
と自分に言い聞かせていました。
でも今回は全く逆に 「神様は 『そろそろお前に人様の会社を診る機会を与えてやる。その代りもっと精進してお役に立て。』
と言ってくれたのだ。」 と思いました。
加えて、どんなことでも、 「一生懸命やるものだ」 と改めて感じました。そうでなければ、100人以上はいるであろう先生の
お知り合いの診断士の中から、最初に私を選んではいただけなかったはずです。
この1か月間で、自分の人生が大きく動き出した感があります。でもまだまだ未熟者。我が塾の基本、 「誠意・熱意・創意」 を常に忘れず
頑張って行きたいと思います。近々開業届を出します。今後とも、何卒宜しくお願い申し上げます。
本日は、私事にお付き合いいただき、ありがとうございました。